LIGHT YEARS
輝かしきナイトクラブの時代
November 2016
スタジオ54でのダイアン・フォン・ファステンバーグ。1978年。
ナイトクラブで遊ぶという発明 では一体誰が、この素晴らしいアイデアを思いついたのだろう。ディスコの語源がフランス語の“le discothèque(ル・ディスコテーク)”であることが示すように、ナイトクラブの発祥地はパリだ。
この世のあらゆるものが、たったひとりの力で生まれるわけではないが、ナイトクラブという発明においては、レジーヌ・ジルベルベルグという女性に敬意を払わざるを得ない。
1929年生まれのベルギー人亡命者であったレジーヌは、ディスコテークの携帯品預かり係から身を起こし、1958年に自身のディスコテーク、“シェ・レジーヌ”を発足させた。そこで彼女が考案したのが、音楽を途切れさせないために、2台のレコードプレーヤーを使うというアイデアだった。
自他ともに認める“夜の女王”であった彼女は、プレイボーイとして有名だったポルフィリオ・ルビロサ、俳優のアラン・ドロンやブリジット・バルドー、歌手のセルジュ・ゲンズブールといった人々をもてなした。当時、ニューヨークから伝わったばかりのツイストを、ウィンザー公に教授したのも彼女だった。カール・ラガーフェルドは、「要するに、彼女はナイトクラブで遊ぶという行為を発明したんだ」と語る。
レジーヌはやがてモナコ、モンテカルロ、ニューヨークに新たなクラブをオープンし、親密さ、高級感、華やかさと三拍子揃えたビジネスモデルを展開していった。ニューヨークのクラブは、パーク街のデルモニコ・ホテルの1階にあり、ジャック・ニコルソン、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、アンディ・ウォーホルが常連として通っていた。
レジーヌが唯一失敗した場所は、ロンドンだった。彼女はイギリス人が「野暮なせいだ」と語ったが、実は手の込んだ宣伝活動まで展開したといわれている。数十年後に“ハイプ(誇大宣伝)”と呼ばれるその手法は、店の前に行列を作らせ、あたかも店内が満員であるかのように見せるというものだった。
イギリス人に対するレジーヌの意見にも一理あったかもしれないが、大きな敗因は階級という根本的要素を考慮しなかったことだろう。ロンドンで最長の歴史を誇るナイトクラブ、アナベルズの成功の秘訣はここにある。