GRACE PERIOD
【追悼】エリザベス女王とその生涯
September 2022
女王は「癒やし」の象徴だった
しかし、2017年6月14日、マルコムの言葉が私の脳裏にかすかによみがえった。その日の午前1時前、ロンドン西部のタワーマンション「グレンフェル・タワー」で火災が発生し、夜明けまで続き、それは現代における最悪の惨事のひとつとなった。70人もの人々が亡くなったのだ。
翌日、まだ燻り続ける現場を訪れたテリーザ・メイ首相(当時)は、住民の誰とも会わなかった。テレビは彼女が大勢の警察官に守られている様子を映し出した。それは、惨事の現場での支援というより、群衆が暴動などを起こさないよう威圧しているようだった。国の指導者の冷たい対応は、状況をさらに辛いものにさせるような気がした。
その翌日のエリザベス2世女王陛下の訪問は、まったく違ったものだった。心配そうに住民の間を歩き、救急隊員の勇敢な対応に感謝の言葉を述べると拍手が沸き起こった。古風な服を着たこの小柄な老女は、こういった場合にどうあるべきかを示した。彼女は愛する人や家を失った人たちに具体的に何かを与えたわけではない。しかし、彼女には温かさがあったのだ。その半世紀前、1966年にウェールズのアベルヴァン鉱山の地滑りで学校が飲み込まれたとき(144人が死亡。そのうち116人が子供)、女王の現地入りは遅れ、事件発生から8日後になってしまった。
当時、彼女は民衆から非難された。この不祥事は王室を描いたドラマシリーズ『ザ・クラウン』(2016年~)のエピソードでも取り上げられた。しかし、最終的に彼女は許された。「もし女王がすぐにここに来なかったことを後悔しているのなら、それは間違いだと思います」と、2002年に生存者のひとりが語った。
「到着したとき、女王は目に見えて動揺していました。アベルヴァンの人々は、彼女が来てくれたことに感謝しています」
女王はたとえ行ったとしても、自分には何もできないと思っていたのかもしれない。しかし、生存者の証言が示すように、彼女の存在自体が「癒やし」になったのだ。
幸いなことに、私たちの多くは、祝典、スポーツの試合、チャリティー、就任式など、それほど苦にならない状況で女王に会うことができた。女王を知らない人々にとって、そのイベントは特別なものとなり、一生の思い出となった。ほんの数分、数秒の出来事かもしれないが、その出会いがどんなに短くても記憶に焼きついてしまうのだ。近年では、有名人には賞味期限がある。しかし、女王陛下の場合はそうではなかった。
先日、ジブラルタル空港を通過したとき、1954年5月11日の『ジブラルタル・クロニクル』紙の一面が拡大され、壁に貼ってあるのを見て、驚きと喜びを感じた。そこには“国民が献身的に女王を迎える。どの家からも旗が、どの通りからも歓声が……”とあった。
このような感情は、植民地時代の不快な記憶が残っている国々では、否定されるかもしれない。しかし、女王の訪問に対する感動や記憶は、なお続いていたのである。
1953年6月2日の戴冠式の様子。専用馬車に乗る女王エリザベス2世。