When Michael and Tina Ruled the World

マイケルとティナが世界を動かした頃

September 2019

text stuart husband

マイケルとエヴァ・チュン、そしてマイケル&ティナの娘チャイナ。プレオスカー・パーティーにて。

「マイケルはティナを操り人形のように縛り付けておきたがった。成功を収めていた夫婦に悲劇が訪れ、何もかも崩壊してしまったんだ。まるで京劇のストーリーのようだった」とホアン・ラモスは語っている。

 ふたりの結婚は80年代の終わりに、ニューヨークのアートバブルがはじけるとともに破綻した。ティナは仏教や菜食主義に傾倒し、リチャード・ギアと浮名を流した。しかし、バイセクシャルの仏人外交官と関係を持った後に、ストレートの女性としては初めてHIV感染を公表し、1992年にエイズで亡くなった。

 マイケルは4番目の妻(韓国人ファッションデザイナーのエヴァ・チュン)と再婚。80代を目前にしてアート界の重鎮となり、ロサンゼルスにあるブロード美術館の理事を務めている。

 ミスター・チャウは、ハードロックカフェやトレーダー ヴィックスに引けを取らない老舗ブランドとなり、かつてバスキアやウォーホルがいた席にはジェニファー・ロペスやパフ・ダディが座っている。もはやカルチャーの中心地ではないが、いまでもグルメな業界人に人気だ。ブレット・ラトナーは言う。

「ミスター・チャウでは夢のようなディナーパーティーを、毎夜楽しんだ。一晩中いるのに、誰も帰ろうとしないんだ」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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