When Michael and Tina Ruled the World

マイケルとティナが世界を動かした頃

September 2019

text stuart husband

ジャン=ミシェル・バスキアやアンディ・ウォーホルと食事をするティナ・チャウ(1986年)。

 ビートルズはこの店を社員食堂代わりに利用し、ポール・マッカートニーはある日のランチタイムに『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』という新曲のコード進行を組み立てた。フェデリコ・フェリーニやフランク・シナトラ、ジャンヌ・モローも常連だった。映画のプレミアの後は、ここでアフターパーティーを開くのが定番だった。店の評判はこれ以上ないほど高まった。そんな折、71年に京都の寺を巡っていたマイケルはティナと出会う。

 画家ケニー・シャーフは回想する。

「バスキアはキース・ヘリングと同じテーブルに座り、向かい側ではウォーホルがデュラン・デュランのニック・ローズとおしゃべりしていた。バスキアは、蒸したブラックマッシュルームとアワビをつまみに、キールロワイヤルを飲みながら、ニューヨークのアートシーンで駆け出しだった頃のことをキース・ヘリングと話していた。これにはちょっと圧倒されたよ」

華やかな時代の終わり しかし、レストランが頂点を極め、年商が200万ドルに達した頃には、この結婚が破綻寸前になっていた。1984年にヘルムート・ニュートンが、ミスター・チャウのバーで撮影した写真からも一目瞭然だ。ティナはカウンターバーにロープでつながれ、無表情なマイケルがハイボールを片手に傍観している。

 マイケルは中国の両親が文化大革命で迫害され、亡くなっていたことを知ったのだ。彼は鬱状態に陥り、レストランにカメラを取り付けて、ティナの様子を監視するようになった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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