When Michael and Tina Ruled the World

マイケルとティナが世界を動かした頃

September 2019

text stuart husband

マイケル&ティナ・チャウとジェリー・ホール、出版記念パーティーにて(1985年)。

 しかし彼は13歳にして、中国語しか話せないにもかかわらず、ウェンロック・エッジ(英国の名門寄宿学校)に送り込まれた。暗く質素な学校では、しょっちゅうムチでぶたれ、1本のラムレッグを100人の男子生徒で分け合うような生活だった。

「まるでハリー・ポッターの世界だったけれど、魔法は起きなかった。当時の孤独は、とても言葉にならない」と彼は回想している。マイケルはこうした環境に反発し、口ひげと丸メガネで、自らの異質さを逆手に取った“個性”を演出した。

「これは“人種差別解消メガネ”だよ。メガネのほうが私自身より目立つから、中国人であることが目立たない」

 アート・カレッジを卒業した彼は、自らの個性を受け入れてくれる環境を、60年代のロンドンに見いだした。

「とても面白い時代で、人種は問題にならなかった。エキセントリックで、アーティスティックであればよかったんだ」

 彼は、ロバート“グルービー・ボブ”フレイザー(スウィンギング・ロンドンを牽引した美術商)の画廊で働き、ジム・ダインやピーター・ブレイクといった花形アーティストと親しくなった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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