When Michael and Tina Ruled the World
マイケルとティナが世界を動かした頃
September 2019
結婚した日のマイケル&ティナ・チャウ。ロンドンにて(1973年)。
エルメスのスーツのように ウォーホルが週に何度も取り巻きと長テーブルに陣取り、自分では食べずに、料理を周囲に勧めていたのも、ジョン・レノンが最後の晩餐となった食事を取ったのも、この店だった。マイケルはレストランが成功した理由を語っている。
「どの街にも旬がある。20年代はベルリン、30年代はパリと上海、50年代はローマ、そして60年代はロンドンにすべてが集まった。70年代はロサンゼルス、80年代はニューヨーク。私たちはそのときどきの旬な街にいるんだ」
確かにそうかもしれない。1979年にオープンした、ミスター・チャウの3店舗目にあたるニューヨーク店は、チャウ夫妻の最高傑作だった。ホワイトのガラスラッカー塗装を施した空間に、ジャコメッティのランプ、ラリックのガラス扉、リチャード・スミスの彫刻をあしらった高い天井、豪華客船ノルマンディーで使われていたアイスバケツ、ヨーゼフ・ホフマンの椅子などが設えられていた。
ミスター・チャウを単なるレストランから美食の殿堂に進化させたのは、マイケルのこだわりだった。店という舞台を演出するのは、エルメスのスーツを仕立てるようなものだと彼は語っている。
「ディテールにこだわり、統一感を持たせれば、空間は有意義なものになる。ステッチのひとつひとつに意味があるんだ」
マイケルの複雑な生い立ち マイケルは名家の出身だ。父親の周信芳は、中国で最も有名な俳優で、京劇の重鎮。母親の生家は富豪一族で、茶の交易で財をなしたが、アヘンにも関与していたといわれている。マイケルは、「車と使用人に囲まれた、何不自由のない子供時代」を謳歌した。