April 2018

‘WE GOT A CALL SAYING THE FAMILY BUSINESS HAD BEEN ATTACKED.
MY LIFE IN LONDON STARTED THEN’

祖国を追われ、シガーに救われた男

text tom chamberlin photography kim lang

エドワードのシガーに火をつける伝説的なトルセドレス、ノーマ・フェルナンデス。

最初は1本のパイプから「最初はパイプから入りました。まだ16歳と若く、テヘランに住んでいた頃のことで、今でもよく覚えています。ネクタイや帽子、時計といった高級品を扱う店の前を通りかかると、ウインドウに並ぶ商品の中に、1本のパイプがありました。シガレットには興味がなくて、吸ったこともなかったのに、なぜかこのパイプには心を惹かれたのです。何カ月も迷いましたが、思い切って小遣いをはたき、このパイプを買いました。買った後になって、吸い方を知らないことに気づきました。

 23歳の頃、レバノンから来た友人がシガーを1箱プレゼントしてくれました。ガラス管に入ったパルタガス No.10 で、もう生産されていないものです。礼儀として1本取り出し、朝10時頃でしたが、その場で吸いましたよ。苦味が強くて、好きになれませんでしたね。それからわずか数カ月のこと、ゆっくりとランチを取った後で他のタバコを切らしていることに気づき、シガーの箱があったことを思い出しました。そこでもう一度吸ってみたところ、実に美味しかったのです。まさに完璧でした。

 数週間後、ジュネーブに行くことになりました。すると、ある友人からダビドフというシガーショップに行って、ダビドフ・シャトー・ディケムを1箱買ってきてほしいと頼まれました。ダビドフに行ってみれば、そこは愛煙家にとって天国のような店でした。頼まれたものを見つけ、自分用にも1箱購入しましたが、あまりにも強くて好きになれませんでした。

 6カ月後、ダビドフを再訪して、店にいた男性に話しかけました。そのときは知りませんでしたが、話しかけた相手はジノ・ダビドフだったのです。『このダビドフ・シャトー・ディケムを吸ってみたのですが、強すぎて』と言ったところ、彼は『ええ、これはストロングタイプのシガーなんです。私にお任せください』と言い、ダビドフNo.2を持ってきてくれました。これが、葉巻にハマるきっかけでした。

 もっとも、その時点では、シガーは単なる趣味にすぎませんでした。転機が訪れたのは1978年。イラン革命が勃発し、私は一時的にロンドンに逃れました。カバンに入っていたのは6キロのキャビア、20キロのイラン米、タキシードだけでした」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 18
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