The view from the mountaintop

史上最高のグループ―“ラット・パック”

June 2017

『オーシャンと十一人の仲間』の一場面で、プールをするメンバーたち(1960年)。

そして時代は変わった こうして亀裂が生じたラット・パックは、散り散りとなっていった。ソロ歌手としてのシナトラは色褪せることなく、トップランナーとして走り続けた。デイヴィスはテレビのバラエティーに進出し、ビショップはトークショーのレギュラーを任された。マーティンは相変わらずヒットを飛ばし、その魅力でスクリーンも席巻した。クビにされたローフォードでさえ仕事には恵まれ、数作の映画に出演した。

 マーティンとデイヴィスが出演した1981年の映画『キャノンボール』のように、メンバー同士が再共演する機会もあり、同作の続編にはシナトラも参加した。その後、この3人は1988年3月にツアーを開始。しかし当時、深刻なアルコール問題を抱えていたマーティンは、5回のショーを終えた時点でツアーを離脱し、ライザ・ミネリが代役を務めた。

 それから2年も経たないうちに、デイヴィスは肺癌で他界し、マーティンも1995年に生涯を閉じた。ローフォードは長期にわたる薬物乱用によって、無一文で亡くなった。人々の崇拝の的のままこの世を去ったのは、1998年に他界したシナトラだけだった。

 しかし、グループとしての活動期間が短かったにもかかわらず、ラット・パックは大いなる遺産を残した。洗練さ、華やかさ、さり気なさが同居する彼らならではのカッコよさは、ショービズ界で脈々と受け継がれている。

 ビートルマニアやヒッピー、スウィンギング・ロンドンとともに、彼らは60年代の能天気なイメージに欠かせない存在だ。カクテルラウンジやカジノのステージに彩られた彼らの世界は、今でも十分に魅力的だ。

「ベガスだぜ、ベガス!」の台詞が印象的な映画『スウィンガーズ』(1996)や、ジョージ・クルーニーやブラッド・ピットが出演した『オーシャンと十一人の仲間』のリメイク映画『オーシャンズ11』(2001)が作られたことが、その証拠である。

 今の時代に、あれほどの頂に達する者たちは現れるだろうか? 21世紀のヒップホップ界にも、無名のミュージシャンから身を起こし、スターとなったP・ディディ、ジェイ・Z、カニエ・ウェストのような人々はいるが、自尊心に溢れる彼らにとって、チームを結成することは難しいだろう。

 しかし自らの世界で大スターとなったシナトラは、さらに高い頂を目指すために、あえてライバルたちと手を組んだ。そんなことができた彼は、やはり天才だったのだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 16
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