The Rakish ART ROOM Vol.9
貴殿も世界の名画オーナーに!
モーリス・ユトリロ
July 2020
彼が生涯求め続けたもの、それは自分だけを見つめる母の愛情だった。
“シュヴァリエ・デ・ラ・バール通り、モンマルトル” ¥65,000,000 (税込価格)お問い合わせは、ザ・レイク・ジャパン info@therakejapan.com まで
正面にサクレ・クール寺院がそびえる、モンマルトルのシュヴァリエ・ド・ラ・バール通りの風景を描いた作品。無実の罪で処刑された若き騎士ラ・バールにちなむこの通りは、現在はカフェや土産屋で賑わっている。板に油彩 74.3×51.8cm 1917-18年頃制作
20世紀初頭、古きよき時代のモンマルトルの風景を、詩情豊かに描いたことで知られるモーリス・ユトリロ。生前から現在まで高い人気を誇る芸術家だが、その人生は、生まれた時から異常づくめ。まさに「エコール・ド・パリ」=「呪われた芸術家」そのものだった。
彼を「呪い」でがんじがらめにしたのは、他でもない、母のシュザンヌ・ヴァラドンである。ルノワール、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ロートレックなど、名だたる芸術家のモデルをつとめ、ドガに画才を認められて自らもフランス近代を彩る画家となった彼女は、かつてユトリロの父親について聞かれた時に「シャヴァンヌの作品か、ルノワールの作品かわからない」と言ったという。
そう、ユトリロは、母ヴァラドンと同じく婚外子として生まれ、モデル業と自らの恋愛で大忙しの母に子育てを放棄された子どもだった。彼を育てたのはもっぱら祖母だったが、ユトリロは常に母を求める精神的に不安定な子どもで、彼がかんしゃくを起こすと、祖母は幼い孫に水で薄めたワインを与えたという。学業は身につかずリセは退学、母の結婚相手のはからいで就いた職も長続きせず、ユトリロは10代後半にしてアルコール依存症になっている。20歳の時には初めて精神病院に入院。その頃、酒から気をそらせるための手段として、医者や母親から絵を描くことを勧められた。
本記事は2020年7月27日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 35