THE PRESIDENT THAT NEVER WAS

悲劇のJFKジュニア

June 2022

text stuart husband

1998年、ジェイ・レノの番組で雑誌『George』を宣伝するジョン。

 女優のダリル・ハンナとの関係が泥沼に終わったジョンには、たくさんのガールフレンドがいた。時代を象徴するコメディドラマの中に、モテる彼を題材にしたものがいくつかある。また、『TV キャスター マーフィー・ブラウン』ではキャンディス・バーゲン演じるニュースキャスターに新入り事務員と間違えられる役でカメオ出演し、大歓声を受けている(この演技はややわざとらしく、彼が役者にならなくて正解だったと感じさせる)。

 この出演は、ジョンの人生で最も大きな事業となった、高級誌『George』を大々的に宣伝するためのものでもあった。彼が発行人を務めたこの雑誌は、政治を軸として、ビジネス、メディア、エンターテインメント、ファッション、アート、サイエンスと交わるポイントに光を当てたライフスタイルマガジンで、創刊号の表紙はジョージ・ワシントンに扮したシンディー・クロフォードだった。

 ジョンは名刺に、ミドルイニシャルも「ジュニア」の文字も入れなかったという。そして雑誌の隅々まで自身の手を入れた。インタビュアーとして(名刺ホルダーには、ビリー・グラハムからジョンの父と敵対していたフィデル・カストロまで、あらゆる人物が網羅されていた)、エッセイストとして(従兄弟のジョセフやマイケルについて、「悪行の象徴」として記事を書いた)、そしてグラビアとしても(あろうことか、女性問題特集号に自身のヌードを掲載した)。

 しかし、この頃のこうした露骨なアピールは、完全にビジネスとして行っていたものだ。ジョンは1990年代初めに、後に彼の妻となるキャロリン・ベセットに出会っていた。彼女はカルバン・クライン広報として働いていたが、出会いはセントラルパークでのジョギング中だったという。その数日後、ジョンはカルバン・クラインのショールームに現れてスーツを3着買い、そこで彼女の電話番号も聞き出した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 44
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