June 2022

THE PRESIDENT THAT NEVER WAS

悲劇のJFKジュニア

text stuart husband

1999年、ホワイトハウス記者協会のディナーでのジョンとキャロリン。

 高校在学時に「最も美しい人物」と評されたこともあるキャロリンは、モデルのようなルックスを持った落ち着いた女性だった。ふたりは1996年にジョージア州沖のカンバーランド島で極秘結婚。ヘンリー王子とメーガン妃のように、社会の目を避けて暮らそうとしたように見える。彼の立場は王族並みにメディアや社会の注目を集めていたのだ。

 そしてあの1999年7月の運命の夜の前―ジョンは、自らが操縦する小型飛行機パイパー・サラトガにキャロリンとその姉のローレンを乗せて、ハイアニス・ポートで行われる従兄弟の結婚式に行くことを決めた。彼は自分の能力に自信過剰で向こう見ずなところがあり、既定の訓練を終えずに夜間飛行を行ったことが、この飛行機が消息を絶った一因であることは間違いない。けれども人々が感じたのはやはり、「聖」ケネディともいうべき人物を失うことにより彼の有望な将来が断たれ、アメリカの未来の可能性がひとつ消えてしまったという気持ちだった。

 あれから20年が過ぎ、JFKジュニアがアメリカの政治をこじれきった党派対立から救ってくれたらと考えたのは、歪んだ考えを持つQアノン信者だけではなかっただろう。保守系政治解説者のアン・コールターは『ハリウッド・リポーター』誌でこう語る。「(彼が生きていたら)状況は違っていたかもしれません。これほど両極化と憎しみが広がることはなかったでしょう。彼が基準をつくったでしょうから」。あるいは、彼はそうした境界線に苛立っていたかもしれない。

 ジョンはかつてこう言っていた。「素晴らしい人生を送るには、冒険が必要だ」。彼は短い生涯だったが、全力で生き抜いたのだ。

1996年、個性的な自転車と後ろ向きにかぶったキャップという独自のファッションスタイルを披露。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 44
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