Saturday, March 18th, 2017

THE PASSION OF ST.JEAN
バスキアの情熱と受難

ジャン=ミシェル・バスキアのセンスは今なお敬愛されている。
彼はどんなときも、絵の具のついた手を仕立てのよいトラウザーズで無造作に拭いたし、
ポケットが100ドル札でシワになっても平気だった。
この名声に飢えた新表現主義のリーダーは、果たして利用されていたのだろうか?
それとも逆に、彼がスーツのもつ力や意味合いを武器にしていたのだろうか?
text benedict browne

薬物の過剰摂取によって亡くなった彼のロフトから、いくつかの品が回収された。
ペインティングやスケッチももちろんあったが、ジョルジオ アルマーニの服でいっぱいのクローゼットも見つかった。
スーツの一部には、固まった絵の具の薄い層が残されていたーーー。

 

 バスキアのセンスには、今でもファッション界とアート界に一定の崇拝者がいる。無造作で怪しげなそのスタイルには、マディソン街の高級ヨーロピアンファッションと、繁華街のリサイクルショップで見つけた安い掘り出し物が混在しており、80年代よりも今の方が“今風”に見えるような装いだ。バスキアが日々の装いにどれほどこだわっていたのかは定かでないが、収入が増えると、いつもアルマーニを纏うようになった。彼にとってアルマーニは強力な自己表現手段であり、それを身に着けたまま一日中絵を描き続け、夜になるとニューヨークの騒がしいクラブシーンへと姿を消した。バスキアは、“クールじゃない”というシンプルな理由でアメリカ式のサックスーツを避けたが、アトリエを走り回り、次々と絵を描いてゆく精力的な芸術家にとっては、イギリス式のスーツも動きづらくて実用的でなかった。そのため、彼がアルマーニを着用したのは自然な流れだった。しかしここで考慮すべきなのは、80年代のニューヨークが、対照的なライフスタイルを象徴する、互いに似ても似つかぬファッションのるつぼであったということだ。ウォール街のビジネスマンの能力や地位を象徴したサックスーツ、台頭するヒップホップシーンのBボーイたちが愛用したアディダスやストリートウェア、残存するパンクで好まれたスタッズやボンデージなどが溢れかえっていた。当時は個性を堂々と主張する時代であり、現代のようにインターネットによって情報が共有化されて、たちまちスタイルが均一化されることはなかったのだ。
 ジョルジオ・アルマーニとジャン=ミシェル・バスキアの個性には、明らかな共通点がある。両者とも、それぞれの業界が定めた伝統やルールを打ち破る決定的な役割を果たしていた。バスキアのファッションには、彼の芸術スタイルと同じ傾向があった。彼は自分の作品を、自己表現の二元性を意味する「suggestivedichotomies(暗示的な分裂)」と呼んだ。彼の作品の中心テーマは、富と貧困、融合と分離の対比だった。そのため彼は、高価なスーツを着用したまま絵を描くことにより、「暗示的な分裂」のさらなる一例を身をもって体現していたといえる。
 だが、バスキアは精巧に仕立てられた洋服に対して敬意を払っていたとはとても言い難い。手についた絵の具を、太ももの裏側にこすりつけても平気だったし、ポケットは100ドル札によってシワになっていた。果たして彼は利用されていたのだろうか?それとも彼のほうが、スーツやそれを着るための条件を武器にしていたのだろうか?
 同様に興味深いことがもうひとつある。アフリカ系アメリカ人であったバスキアはアートを通じて、人種的制約に無言の叫び声を上げていた。にもかかわらず、白人の手によってデザインされたスーツを着ていたのだ。商業的に成功しているアフリカ系アメリカ人のファッションデザイナーがいないという状況は、当時の社会的偏見を如実に反映している。

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パーティで撮られた写真(1985年頃)

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「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」の表紙を飾った(1985年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 14
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