Thursday, August 8th, 2019

THE KING OF BLING
派手さを極めたエジプト最後の王

エジプト王・ファルーク1世は、在位中に数多くのビスポークスーツやクルマ、
宝石、時計、切手、そしておびただしい数のポルノグラフィを集めた。
肥え太った体型と悪役を連想させる口髭は、その堕落ぶりを象徴しているかのようだ。
text stuart husband

「あらゆる革命家の人生における最高の瞬間とは、退位させた君主の王宮を歩き、その所有物に指を這わせるときだろう」
 1952年にエジプト王を退位させられたばかりのファルークは、自身の持ち物が奪い取られたとき、壁に止まったハエでいたかった、と付け加えた。
「それができれば、あの上品ぶったムスリム同胞団の指導者たちが、私の部屋の衣装箪笥をのぞき込んで清潔なシャツの数々に驚き、田舎者のようにぽかんと口を開ける様子を楽しく観察しただろうに」
 ファルークは史実に関してやや大雑把だった。彼を玉座から追い落としたのは、ムスリム同胞団ではなくエジプト軍の自由将校団である。ムハンマド・ナギーブとガマール・アブドゥル・ナセルに率いられた自由将校団が軍事クーデターを起こし、1952年のエジプト革命の口火を切ったのだ。だが、シャツに関しては彼の言う通りだった。
 ファルークは統治期間中に、1000着以上のビスポークスーツに加えて、博物館級の珍しい切手や硬貨を収集していた。8500点にのぼる硬貨のコレクションは、おそらく世界最多だろう。また、ヒトラーから結婚祝いとして贈られたメルセデス・ベンツをはじめとするクルマ、ダイヤモンド、ルビー、エメラルドなどの宝石、ヴァシュロン・コンスタンタンのグランド・コンプリケーションなどの希少な時計も集めていた。その上、おびただしい数のポルノグラフィのコレクションは世界最大で、彼の枕の下からはセミヌードのアルバムが見つかった。
 彼は美しい品々の存在を認め、「王としての責務の重みに押し潰されそうなとき、コレクションの数々を鑑賞することで、精神的疲れを癒やしていた」と雄弁に話していたが、ポルノグラフィについてのみは口が重く、「あくまで古典的な芸術作品だった」と主張した。中には、正時ごとに性交場面を表現するからくり時計も所有していたが、これも芸術作品に含まれるかどうかについては明言を避けた。
 このような話を聞いただけでは、孤立した指導者が貧困のどん底にある国民を尻目に自国の富を食い潰すという、典型的な泥棒政治に思えるかもしれない。他人に対して関心の薄いファルークが、ほとんど変わろうとしなかったことも、そんな不幸な事態を物語っていた。美食を好んだ結果の肥え太った体型や、悪役のようなカイゼル髭(この髭は『名探偵ポワロ』のモデルとなったという説もある)は、彼の堕落ぶりを象徴しているかのようだった。
 しかし現代の歴史学者たちは、ファルークが最後の後継者だったムハンマド・アリー朝が、いかに驚くべき成功を収めていたかを指摘する。同朝は、19世紀初頭ではオスマン帝国の片田舎であったエジプトを、たった数十年で強大な国家へと変貌させた。その勢力は、大英帝国が歯止めをかける必要性を感じるほど大きいものだった。混沌と暴力が蔓延る現代では、当時の華やかさ、品格、宗教的な寛容さ、洗練された社会を回顧して、“美しき時代”と呼ぶ人々さえいるのだ。

Farouk Iファルーク1世
1920 年、フアード1世の息子として生まれ、王宮の外に出されることなく育てられる。14 歳でウーリッジの英国陸軍士官学校へ留学するが、2年後にフアード1世が崩御したため帰国。国王に即位した。父親譲りの趣味を受け継ぎ希少な時計を収集するなど、あらゆる物を手に入れる強欲さが国民の不満を買った。1952 年の軍事クーデターにより追放され、ヨーロッパへ亡命。派手な生活はやめられず45 歳の若さで死去。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 22
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