THE GOOD, THE BAD AND IL BRUTTO

チャールズ・ブロンソン:
“卑劣漢”に秘められた失望

June 2017

text stuart husband

『大脱走』(1963年)。

完成したキャラクターとの葛藤 タフガイ役を十八番とするリー・マーヴィン、ロバート・ミッチャム、クリント・イーストウッドといった他の俳優たちは、物騒なイメージをすんなり和らげることができたが、ブロンソンはそのイメージをなかなか払拭することができなかった。ウィナーはこう語った。

「撮影開始から数週間が経つと、クルーが寄ってきて、“それで、いつ彼はキレるんだ?”って聞き始める。本当の彼はとても控えめで道理をわきまえた人なのに、あまりに忍耐強いものだから、皆が身構えてしまうんだ」

 ブロンソン自身は、自分が主演する映画や、自分の役の立場がもたらす社会文化的な影響について持論はないと主張し、「自分は製品であり、ひとつの石鹸と同じように、なるべく上手く売るべき存在に過ぎない」と語った。

 その“石鹸”が生み出す泡は、『狼よさらば』シリーズが進む過程で確実に魅力を失った。この頃になると、ブロンソンの自分自身に対する失望や題材のレベルの低さは、彼の投げやりな態度や口角の下がり具合からも明らかだった。

 90年代半ばに引退した彼は、自分の本当の実力は伝わらなかったと思い込んだまま、2003年に81歳で肺炎により亡くなった。だが、彼が演じた『機関銃ケリー』での生意気で葛藤を抱えたギャング、『いそしぎ』の自由奔放な画家、『ウエスタン』での苦悩を抱えたハーモニカ吹きのガンマンといったキャラクターに注目すると、彼の思い込みが間違いであることがわかる。機会を与えられさえすれば、ブロンソンは思い出したようにほろ苦いロマンチシズムを表現し、“卑劣漢”の抒情的で繊細な側面が透けて見えたのだった。もしも『狼よさらば』シリーズで大忙しだったブロンソンが、再びこんな役に恵まれていたならば、穏やかな満足感を得られたことだろう。そして自分を好きになれたに違いない。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 14
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