THE GOOD, THE BAD AND IL BRUTTO
チャールズ・ブロンソン:
“卑劣漢”に秘められた失望
June 2017
『狼よさらば』(1974年)で主役のポール・カージーとして。
それからブロンソンは長年にわたり、無愛想な仲間役としてのキャリアを積んだ。表情の変化に乏しく、戦い疲れた兵士の虚ろな目つきを思わせる彼は、よくメキシコ人やインディアンとの混血役を任された。
1953年のホラー映画『肉の蝋人形』、1960年の『荒野の七人』や1963年の『大脱走』のような群像劇などに出演し、ジャンルを問わず活躍する。『大脱走』の撮影中には、まるで鈍器のようなブロンソンの芸風がプライベートでも威力を発揮した。
共演者であるデイヴィッド・マッカラムの妻で女優のジル・アイアランドと出会ったブロンソンは、マッカラムを脇へ呼び、有無を言わさぬ調子で「君の妻と結婚する」と宣言したという。そして彼はその言葉を実行した。離婚手続き後、1968年に結婚したふたりは、1990年にアイアランドが癌で他界するまで人生をともに過ごした。
その一方で、もはや機械的に演じていた悪役、勇士役、スパイ役に幻滅していたブロンソンは、1960年代後期にアラン・ドロンの勧めでヨーロッパへ拠点を移し、またたく間に大西洋の東西で主演俳優を務める大スターになった。
「ただし皮肉だったのは、ヨーロッパで撮影しても日本人がアメリカ映画だと勘違いし、アメリカ人は外国映画だと勘違いした作品でブレイクしたこと」
さらに皮肉なのは、ブロンソンがようやくアメリカで認められた背景に、イギリス人監督、マイケル・ウィナーの尽力があったことだ。多弁で社交的なウィナーは、感情をほとんど表に出さないブロンソンとは対照的だった。ふたりは『シンジケート』という作品で3度目の共同作業を経て、『狼よさらば』で、ブロンソンの演じるキャラクターを繊細に微調整し完成させた。
『狼よさらば』は、70年代半ばのニューヨークに内在した恐怖心に間違いなく影響を及ぼした作品だ。当時のニューヨーク市は、停電、凶暴な連続殺人犯、破産の危機がもたらす甚大な影響、腐敗した警官、未回収のゴミが散らばるストリートなどに悩まされていた。ブロンソン演じるポール・カージーが、「警察が我々を守らないのであれば、我々自身がやるべきなのかもしれないな」と言うと、法・秩序・社会正義の合法的な力の概念を信じられなくなっていた観客は賛同した。
だが、評論家たちは冷ややかだった。ニューヨーク・タイムズ紙は、「見下げ果てた映画だ」と評し、「偏屈で、軽薄で、きわめて単純化した答えを提示するために、複雑な問題を提起する作品だ」と続けた。ただ、ひと際厳しく批判した人々でさえ認めざるを得なかったのは、ブロンソンには圧倒的な存在感があるということだった。