SPIRITUAL LEADER

バレンシアガの伝説

August 2019

text stuart husband

ダブル仕立てのグレイのコートでスマートに決めた姿、パリにて、1965年。

「彼はテーラーであり、カッターでもある。服に命を吹き込み、遊び心溢れる素材使いでメリハリをつける」とセシル・ビートンは述べている。

 1915年にはサン・セバスティアンに自分の店をオープン。20年代後半には、ヴィクトリア・ユージェニー妃やマリア・クリスティーナ皇太后の御用達になった。しかし1936年にスペインの内乱が勃発すると、パリへの移転を余儀なくされ、1937年にジョルジュ・サンク通り10番地の3階にクチュールメゾンを開いた。

 パートナーのヴラジオ・ジャウロロウスキー・デタンヴィル(バレンシアガの作品に合わせてバロックハットをデザイン)とビジネスマネージャーのニコラス・ビスカロンド(彼も当然ながら、バレンシアガと性的指向が同じだった)とともに、パリを本拠地としたのだ。

 1937年に発表した初コレクションは、1着のドレスに3,500フランもの値を付けたにもかかわらず大評判となった。ダイアナ・ヴリーランドは息を呑み、グロリア・ギネスは驚いて椅子から床に滑り落ちていた。

 ウィンザー公爵夫人やビスマルク伯爵夫人(ガーデニング用のショートパンツに至るまで、バレンシアガしか着なかった)、バーバラ・ハットン、グレース・ケリー、ジャクリーン・ケネディ(ジョン・F・ケネディは、その請求書に仰天した)、ヘレナ・ルビンスタインといった綺羅星のような顧客をあっという間に獲得した。

 顧客たちはバレンシアガの革新的なスタイルやカットに魅了された。セシル・ビートンはこう書いている。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 21
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