March 2020

OUT OF THE FIRE

炎の男、ニキ・ラウダ

text nick foulkes
issue10

自身の航空会社であるラウダ航空の開業を祝うラウダ(1980年)。

 しかしわずか33日後、ラウダはレースに復帰し、イタリアGPで戦っていた。ミイラのように包帯を巻いた顔の傷口からは、まだ液体がしみ出していた。結果は4位だった。最終決戦の場となったのは、日本の富士スピードウェイで行われたシーズン最後のレースだった。

 雨がざんざん降っていたうえ、(涙管が損傷しているせいでものが見えづらいなど)傷に悩まされていた彼はレースをリタイアした。その結果、ハントが1ポイント差でチャンピオンの座を獲得した。

 フェラーリはコンストラクターズ・チャンピオンに輝いたが、長老フェラーリはラウダに期待を裏切られたと感じているようだった。ふたりの関係が元に戻ることはなかった。ラウダは翌1977年のチャンピオンシップを大差で勝ち取ったが、カナダGPの直前にチームを辞めた。

 フェラーリに対する彼の別れの言葉は、「チャオ、エンツォ」という容赦のないものだった。

 ウィリアムズが述べている通り、「あれほど遠慮のない態度で上司のエンツォに語りかけた男」は、後にも先にもラウダだけだった。

 彼は1982年にマクラーレンのドライバーとしてグリッドに復帰した。ラウダは0.5ポイントという僅差でチームメイトのプロストを打ち負かし、レースもチャンピオンシップも制覇した。これがF1における、彼の最後のシーズンだった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 31
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