OUT OF THE FIRE

炎の男、ニキ・ラウダ

March 2020

text nick foulkes
issue10

1977年のベルギーGP 開始前のラウダと、レース上のライバルであったジェームス・ハント。

そして訪れた悲劇 1976年、ラウダは最初の妻であり、ふたりの息子の母であるマレーネ・クナウスと結婚した。この年、フェラーリとラウダがチャンピオンシップで再び勝利することは確実で、レースはもはや形だけのもののように思われた。

 ドイツGPはシーズンの第10レースで、ラウダはすでにハントを45も上回るポイントを獲得していたのだ。

 深い森に覆われたアイフェル山地を蛇行するニュルブルクリンクが初めて使用されたのは、1920年代のことだ。このサーキットはすでに5人の命を奪っていたため、最新のマシンにとって危険だと考えられていた。

 ドライバーズ・アソシエーションの会議において、ラウダは消防車やセーフティ・クルーが不足しているという懸念を表明し、ボイコットを呼びかけた。しかし、彼は投票で敗れた。こうして、長く暑かった1976年の夏の8月1日に、ラウダは2番手グリッドからスタートすることになった。

 にわか雨が降ったため、雨天用タイヤでレースに臨んだラウダであったが、間違いに気づき、第1ラップ後にピットへ駆け込んだ。そこでスリックタイヤに交換し、遅れを取り戻そうと大急ぎでコースへ戻った。新しいタイヤは十分に温まっておらず、彼はこのサーキットでもっとも悪名高いコーナー、ベルクヴェルクでコントロールを失った。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 31
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