OUT OF THE FIRE

炎の男、ニキ・ラウダ

March 2020

text nick foulkes
issue10

1974年のスペインGPでのクレイ・レガツォーニ、ラウダ、エマーソン・フィッティパルディ。

 無論、そのような行為は低俗すぎるからである。これは英国富裕層のアマチュアリズムへの回帰だった。ハントが1976年のタイトル戦にて手に汗握る展開の末に勝利したことは、英国民の誇りを大きく回復させた。

 一方、ラウダは綿密で自制心が強く、正確なタイプだった。ハントのような大らかな魅力に欠け、痩せた顔と突き出た歯のせいで“The Rat(ネズミ)”というありがたくないあだ名を付けられた。だが、彼は速かった……猛烈に速かった。そのスピードは入念な準備の賜物だった。

 しかし、ラウダをカーレース界のコンピューターと見なしてしまうと、夢を粘り強く追い続けた彼の意志力を見落とすことになる。彼はオーストリアの大実業家一族の生まれであり、カーレースのドライバーになるという決断は家族を仰天させた。

 家族に反対され、金銭的な支援も受けられなかったが、彼は夢を諦めなかった。借金もまた野望とともに膨らんでいった。1973年、彼の借金は16万ポンドになっていたといわれる。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 31
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