MAGNETIC IMAGING MARLON BRANDO

銀幕のゴッドファーザー:マーロン・ブランド

June 2023

text stuart husband

彼の3番目の妻タヒチ出身の女優タリタ・テリピア。

 ブランドは10年の間、商業的な成功を収めることができなかった。その一方で、私生活はますます歪んでいった。70年代に入るまでに3回の結婚を経験し、16人の子供をもうけていた。

 3番目の妻は、『戦艦バウンティ』で共演したタヒチ出身の女優タリタ・テリピアである。画家ゴーギャンのように南洋に魅せられたブランドは、テティアロアという12個の島からなる環礁を購入した(現在ここはザ・ブランドという超高級リゾートになっている)。彼は髪をポニーテールにし、パレオを身にまとい、腹を丸出しにして、裸足で歩き回っていた。

 ハリウッドの隣人ジャック・ニコルソンによると、ブランドはしばしばニコルソンの留守中に彼の家の冷蔵庫を漁っていたらしい。ブランド自身の冷蔵庫には南京錠がかけられていたそうだ。

 しかし、70年代の3つの役柄が、ブランドの人気に再び火をつけた。『ゴッドファーザー』(1972年)の原作者マリオ・プーゾは、ブランドのためにドン・コルレオーネ役を考え、彼はその役を切望して、5万ドルで引き受けるといった。

 フランシス・フォード・コッポラ監督は、及び腰だったパラマウント映画社にブランドの起用を訴えた。彼はスクリーン・テストを受け、最終的に合格した。評論家ピーター・ビスキンドによると、“彼は口にティッシュを入れ、髪に靴墨を塗り、晩年のシーンの撮影になると風船が萎むように縮み始めた”のだ。

 ブランドの何を言っているのかよくわからない演技に、「この映画には字幕がつくのか?」とプロデューサーのロバート・エヴァンスは吠えたが、ブランドの演技は高く評価され、1973年に2度目のアカデミー最優秀男優賞に輝いた。

 しかし彼はこの受賞を拒否した。ハリウッド映画やテレビにおけるアメリカ先住民の描写に抗議したのだ。彼はずっと人種差別に反対していた。彼はアパッチ族の衣装をまとった女性を授賞式に送り込んだ。同年、彼はベルナルド・ベルトルッチ監督の異色作『ラストタンゴ・イン・パリ』で、若い女とセックスを繰り返す男やもめを演じ、こちらも絶賛された。『地獄の黙示録』(1979年)は、殺人鬼カーツ大佐を通じて、70年代以降のブランドが投げかけた巨大な影を象徴する作品だ。

 彼の最後の20年間は、非常に高い報酬を得たとはいえ、戯言のようなカメオ出演と個人的な悲劇のなかで費やされた。息子のクリスチャンが娘のシャイアンのボーイフレンドを撃ち、シャイアンは10年後に自殺したのだ。

 彼は、自分のキャリアについて、「成功し過ぎると、失敗し過ぎるのと同じくらい自分をダメにしてしまう」と言っていた。

 ブランドの影響力は、同業者からも疑いなく認められていた。彼が2004年に呼吸不全で80歳で亡くなったとき、ジャック・ニコルソンはこう言った。「これで誰もがひとつ上に行くことができる」。

 今日メソッド演技法を取り入れているすべての俳優は、天才だったブランドを真似ているに過ぎない。彼は演技と映画界全体を変えてしまったのである。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 50
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