June 2023

MAGNETIC IMAGING MARLON BRANDO

銀幕のゴッドファーザー:マーロン・ブランド

text stuart husband

サンタモニカでのチャリティーパーティにて(1968年)。

 映画評論家のポーリン・ケイルは、オフブロードウェイの『Truckline Café』という作品で、若き日のブランドが不貞の妻を殺しに故郷に戻った兵士を演じているのを見て、彼が実際に舞台上で痙攣を起こしていると思ったそうだ。

「あんなに直情的なものは見たことがなかった」と彼女は言った。

『欲望という名の電車』を見た観客も、同じような衝撃を受けた。ブランドはすぐに、“ビバップ世代のヴァレンティノ”となり、熱狂的に支持された。

「彼は陰気な奴だったが、やろうと思えば、自分の殻を打ち破ることができたのだ」と、ブランドの別の友人がカポーティに打ち明けている。

「彼は自分の部屋の壁に“You Ain’t Livin’ It If You Don’t Know It”(それを知らなければ、生きている意味がない)というサインをしていた。彼はボンゴを演奏しながら、落ちこぼれや迷子を拾ってきていた。女の子についても同じで、地味で、誰かの秘書のようなタイプが好きだった」(女性への好みは、ブランドの祖母も認めている。「マーロンはいつも、斜視の女の子と付き合っていた」)。

 当然ながら、ハリウッドからオファーされるのに、そう時間はかからなかった。ハリウッドでの成功と闇『男たち』(1950年)、『革命児サパタ』(1952年)、『ジュリアス・シーザー』(1953年)、そして『欲望という名の電車』や『乱暴者』などの作品で、人々の感情を揺さぶる演技を見せた。ホアキン・フェニックスやジョニー・デップといった俳優たちは、いまだに彼の影響を受けている。彼は1954年の『波止場』にてアカデミー賞主演男優賞を獲得した。

 しかしそれは、持続することが不可能なレベルだった。数年後、ブランドはカポーティに、「私は何かに興奮しても、それが7分以上続くことはない。それが私の限界なんだ。なぜ毎朝起きるのか、よく不思議に思う」と告白している。移り気なファンたちの熱狂は次第に冷めていった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 50
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