September 2018

ENGLAND, OUR ENGLAND
競馬のための装い

text nick foulkes

1908年のアスコット競馬場のロイヤル・エンクロージャーとスタンド。

「“馬”に興味のない者にとってのアスコット競馬の魅力は、レースの合間にコースを練り歩く“人々”にある。最高の衣装を纏った社交界の花形たちが束の間の光景に華々しい効果をもたらすのである」

 ニムロドがこれを書いたのは、ヴィクトリア女王が即位した(1837年)頃だったが、当時の競馬大会は今より無秩序で危険だった。ある年、ロシア皇帝、ザクセン王、アルバート公が特別スタンドを離れて馬を見にいったところ、押し合う群衆にもみくちゃにされそうになった。そこで1845年に、新鮮な空気を吸いながら馬を観察しつつ、晴れ着を披露できるロイヤル・エンクロージャー(特別観覧席)が追加されたのだった。

 それから173年にわたり、この芝地は世界一有名なVIPゾーンである。しかも映画『マイ・フェア・レディ』(1964年)の中の印象的なシーンに登場している。衣装を担当したセシル・ビートンがアカデミー衣裳デザイン賞を受賞したこの作品以降、多くの人が抱くロイヤル・エンクロージャーの理想像は、この『マイ・フェア・レディ』に由来しているのだ。

 とはいえ、ビートンもまた、エドワード7世の時代の前後に開催された、ブラック・アスコットの写真からヒントを得たといわれている。ブラック・アスコットとは、ヴィクトリア女王の崩御とエドワード7世の崩御を受けて、ロイヤル・エンクロージャーの招待客が喪服を着用した1901年と1910年のロイヤル・アスコット競馬である。アスコット競馬が連想させる厳格なフォーマルさは、主にこの時代がルーツといえる。

 20世紀初期のアスコット競馬場は服装に厳しかった。中でも誰より厳しかったのは、馬場取締委員のサー・ゴードン・カーターである。彼の靴紐は毎日必ず洗濯・アイロンがけされていたほどだ。ある記述によると、ロイヤル・アスコット競馬開催中の彼のスケジュールには、5つの装いが含まれていたという。

「サー・ゴードンは朝7時に乗馬服でコースに出ていた。その後、オフィスでラウンジスーツに着替えた。正午になると自宅へ戻り、モーニングに着替えていた。第1レース後、昼食会をするのが常だった彼はまた別のラウンジスーツに着替えた。その後、ディナー用の夜会服を身に纏い、その日5着目の着替えを済ませた」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 24
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