COUP DE GRACE

グレースという贈り物

January 2017

text nick foulkes

子供たちとスキーをするレーニエ大公とグレース公妃(1960年)

波瀾万丈なスタートの先に ふたりはようやく祭壇にたどり着いた。シャンパン色のドレスをまとうグレースは華麗で、大公の颯爽とした軍服は派手やかな勲章で彩られていた。ところが、若く麗しいカップルにとって何より大切なこの瞬間さえ台なしにする出来事が起きた。大公は後にこう述懐している。

「ふたりで実際に大聖堂に並んだときに驚愕したのは、結婚式の間ずっと祭壇の前がカメラとマイクだらけだったことだよ。内輪だけの時間や厳粛さが、まるきり欠如していた。後になって、山の中にあるどこかの小さな礼拝堂で結婚すべきだったね、と頷き合ったものだ」

 グレースもこう語っていたほどである。「報道陣たちは祭壇の後ろに陣取ったり、梁にぶら下がったりしていたんですもの。まるで悪夢を見ているようでした。とにかく、なにもかもが大変でした」

 それもそのはずだ。1500人のジャーナリストと、700人の招待客だけでなく、観光客までもが大勢押し寄せていたのだ。

 新婚旅行もまた、のっけから波乱万丈だった。ふたりは当初、大公家のヨットであるデオ・ユワンテ号でマヨルカ島へ出発するつもりだったが、いざ出港すると大波による揺れがひどく、船長の助言により、ヴィルフランシュ湾に寄って天候の回復を待つ羽目になったという。

 スタートは順風満帆ではなかったかもしれないが、ふたりがついに船出して新婚旅行へ出発し、結婚生活の第一歩を踏み出したとき、モナコの近代化は始まっていたのだ。他国の女優と結婚する、という自身の決断に対して国民がどれほど不安になったかを説明した際、レーニエ大公は次のように付け加えていた。

「この地域の人々の大多数が、モナコからほとんど出ることのない人生を送ってきたことを理解しなくてはならない。70歳で亡くなるまでに、一度だけ訪れた最も遠い場所がニースだというモナコ人の話を、私は何度も聞いたことがある」

 しかし、今は違う。グレースがもたらしたハリウッドの華やかさ、いや、グレースという存在がすべてを変えてくれたのだ。この小さな都市国家に世界中から人々が集まる現在を見れば、この事実は誰の目にも明らかなことだろう。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 13
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