COUP DE GRACE
グレースという贈り物
January 2017
パリでの休日(1956年)
厳しすぎるグレースの父の態度 さらに大公は、この縁組みの妥当性をグレースの父に納得してもらわねばならなかった。タッカー神父に対するジャック・ケリーの最初の反応は、表面的にはまるで芳しくなかった。ジャックはいつもの歯に衣着せぬ物言いで、「どんなところか誰も知らないような、ちっぽけな国を治める不健康なプリンスに、娘をやりたいとは思わない」と言い放ったという。
しかし、これはレーニエ個人に向けた批判というわけではなかった。現に、オレグ・カッシーニについてのジャックの態度のほうが、はるかに失礼だった。かつてオレグがケリー家に滞在しにやってきたとき、一家の主であるジャックは彼をひたすら無視していた。ケリー家の基準からすれば、レーニエ大公はこれでも恵まれた状況にあったのだ。
ちなみにジャックは、外国人嫌いだったわけではない。娘に近づきさえしなければ、外国人に眉をひそめることはなかった。何はともあれ、レーニエ大公はグレースの父親に注目されていたし、グレースの母親に至っては、結婚式の構想に胸を躍らせてさえいた(花嫁の自宅で行うアメリカ式ではなく、モナコで行うと聞かされるまで、ではあるが)。
だがジャック・ケリーには、200万ドルの結婚持参金を出す気はさらさらなかった。持参金の提案に対し、ジャックは案の定カンカンになった。「私の娘は、誰と結婚しようが金を払う必要などない」といきり立った。しかし、最終的には、花嫁の父として結婚式に200万ドルを出すことに渋々同意した。