BLUE-EYED GIRL

フレンチポップス界の才媛、フランソワーズ・アルディ

March 2023

text stuart husband

『グラン・プリ』で、アントニオ・サバト・シニアと。

 アルディはすぐに、当時フランスで大ブームだったイエイエスタイルの旗手として賞賛されたが、同ジャンルとして崇められたフランス・ギャルやブリジット・バルドーの雰囲気とはまったく違っていた。彼女の声は哀愁に満ちていて、それが歌の主題と見事に共鳴していたのだ。実際、彼女は『男の子と女の子』の中で、カップルだらけの通りをひとりで歩く自分自身のことを歌っている。

「でもね、私はひとりで通りを行くの 悲しい気持ちで/でもね、私はひとりで行くの 誰も私を愛してくれないから」

 アルディは伝統的なシャンソン、特にシャルル・トレネの曲に共感していると公言している。

「他の誰よりも勉強になります。彼の音楽は悲しくて明るいから」

 この言葉は彼女の楽曲の特徴をぴったり言い表している。

 アルディは正規のボイストレーニングを受けていないが、素朴な歌声という天賦の才能を持っていた。それと同様に、彼女のしびれるような美しさ―背が高く中性的なシルエット、飾り気のないエレガンス、ひと際落ち着いた物腰―が何よりも人を惹きつけるのだが、彼女は自身の魅力に気づいていないようだった。『ヴォーグ』誌はこう書いている。「アルディは反バルドー的存在だった。バルドーが持っていた、セクシーさを前面に出した女らしさを古臭いものにした」。

 彼女はかなり早いうちから“もの悲しさ”をこよなく愛していた。労働者階級の母マドレーヌと、その母よりずっと年上で裕福な既婚者だった父エティエンヌの娘としてアルディが生まれたのは、ナチス占領下だった1944年のパリ。父とはたまに会うだけで、ともに暮らすことは一度もなかった(アルディは2008年に発表した自伝で、同性愛者であることを隠しつつ後にカミングアウトした父の人生と、2004年に死去した妄想型統合失調症の妹ミシェルについて綴っている)。母親は「修道女のような暮らし」をしながら、娘にまともな教育を受けさせるために長時間働いていた。そのためアルディは週末に祖父母の家で過ごしていたが、内気で引っ込み思案な彼女にとっては、休息の時間にならなかった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 49
1 2

Contents