EMPIRE OF THE SONS

地球上で最も裕福な一族、ロスチャイルド家の系譜

April 2024

text james medd

家紋に描かれた5本の矢 一族の隆盛は、18世紀のフランクフルトにあったゲットー(ユダヤ人居住区)から始まった。古いドイツ語で「赤い表札」を意味する「ロートシルト」(ロスチャイルドのドイツ語読み)という苗字が初めて使われたのは16世紀後末だが、歌の主人公にふさわしいのは、1744年生まれのマイアー・アムシェル・ロスチャイルドである。

 彼は父親が営んでいたローカルな両替商から金融業に転じ、5人の息子をヨーロッパ各地(フランクフルト、ナポリ、ウィーン、ロンドン、パリ)に送り込んで事業を拡大し始めた。同家の紋章(次項スライド3枚目)には5本の矢が描かれているが、この矢がこぶしでしっかりと握りしめられているところに大きな意味がある。

 ロスチャイルド家の兄弟は別の国にいても連絡を取り合い、父の言いつけを守った。マイアー・ロスチャイルドは息子たちに仕事面の協力のみならず、近親結婚も勧めた。4人の孫息子は従妹と結婚し、このしきたりは子孫が他の貴族や財閥と婚姻関係を結ぶようになった19世紀末まで続いた。オーストリアやドイツ、イタリア(ロスチャイルド家は、たちまちバチカン御用達の銀行家になった)で事業を順調に拡大する一方で、一族はパリやロンドンでも本領を発揮した。

 イギリスに送りこまれた三男のネイサン(1777~1836年)は1811年にN・M・ロスチャイルド&サンズを創業する。ナポレオン戦争では英国陸軍の資金調達に協力し、そこから長年語り継がれる伝説が生まれた。

 その伝説によれば、彼はヨーロッパ中に張り巡らせたロスチャイルド家の情報網によって、ワーテルローの戦いでウェリントン公が勝利したという情報を、イギリス政府より丸一日早くつかんでいたため、公債を買い占めて莫大な利益を上げたという。

 ロスチャイルド家の出資先は軍事活動だけではない。彼らは平時も活躍し、19世紀にヨーロッパで起こった産業革命にも、資金面で大きく貢献した。

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コート・ダジュールにあるヴィラ・エフルッシ・ド・ロスチャイルドは、ベアトリス・ド・ロスチャイルド男爵夫人が、著名なアートコレクターだった父アルフォンス・ド・ロスチャイルド男爵の遺産を投じて1905~1912年に建設。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 03
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