‘WE GOT A CALL SAYING THE FAMILY BUSINESS HAD BEEN ATTACKED.
MY LIFE IN LONDON STARTED THEN’
祖国を追われ、シガーに救われた男
April 2018
店内のスタッフ(1980 年代)
祖国イランを追われて「1979年1月4日にかかってきた1本の電話で、家業の会社が2万人の暴徒に襲撃されたことを知り、帰国できなくなりました。それから、ロンドンでの生活が始まったのです。
その頃はレストランで葉巻が吸える時代でした。なぜそんな話になったのかわかりませんが、若い弁護士から『イランに戻れないとしたら何をしたいか』と尋ねられたのです。一緒にランチを取り、食後に葉巻を愉しんでいたときだったので、用意していたシガーに巻かれたダビドフの帯を見ながら『ジュネーブにあるような小さなシガーショップをやりたいね』と答えました。といっても、いずれイランに帰れると思っていましたから、単なる夢のつもりでした。しかし、弁護士は話を真に受け、ジュネーブのダビドフに手紙を出したのです。
1980年5月29日に店をオープンしたときは、まだシガーに詳しくありませんでした。もっぱら買う側で、売る側になったこともありませんでした。でも、自分が求めるものはよくわかっていました。外を歩くお客様からは店内が、店内にいる人からは外が見えるように大きな窓をしつらえ、店内をシガーだらけにしたいと考えていたのです。イメージは固まっていました。
不眠症の話はよく聞きますが、私も眠れない夜を幾晩も過ごしていました。そんなある夜のこと、ベッドで身を起こしていると、突然ひらめきました。自分がお客として来るなら、どんな店がいいだろう? SUDOKUで行き詰まっているときに求める数字が見つかるように、すべてがあるべき場所におさまっている店がいい。そう考えた私は、理想の店をつくるために工夫を凝らしました。少し費用がかさみましたが、リピーターを増やしたいなら、それなりの演出が必要です」