February 2018
THE ROARING TWENTIES
ベントレー・ボーイズの伝説
バーナートは1925年に初めてベントレーを購入し、24時間走行の距離で世界記録を出していた。1926年にはすっかりベントレー車の虜になっており、会社を買収する決心をした。バーナートがベントレーを購入したことから、本格的なベントレー・ボーイズの時代が始まる。
1925年のル・マンでは結果を出せず、1926年にはジョゼフ・ダッドリー・ベンジャーフィールド、サミー・デイヴィス組が最後の1時間にクラッシュした。同ペアは1927年に再び参戦した。
スタートから約5時間半後、メゾン・ブランシュのコーナーで玉突き事故が起き、先頭集団のほとんどが巻き込まれリタイアしてしまった。デイヴィスもスリップし、横向きで数台のクルマに衝突したが、クルマはなんとか走れる状態だった。彼はよろよろとピットへ戻り、クルマを修理してから、レースに復帰した。トップとは相当の距離が開いていたが、何台ものクルマをごぼう抜きし、劇的な逆転勝利を飾る。チームは国民的な英雄としてイギリスへ凱旋することになった。
1928年から1930年のル・マンでは、ウルフ・バーナート本人が、今日まで破られていない大記録を打ち立てた。それは、3度の出場で3度とも優勝したことである。パートナーとして彼の勝利を支えたのが、サー・ヘンリー・バーキン、グレン・キッドソン、バーナード・ルービンだ。この4人は、ベントレー・ボーイズの一団のなかでも中心的なドライバーだった。当時は、「日が沈まないのは大英帝国か、ベントレーの勝利か」という黄金時代であり、クルマのスピードも祝勝パーティーの盛大さも右肩上がりだった。