February 2018

THE ROARING TWENTIES

ベントレー・ボーイズの伝説

ファッションセンスのよさが窺えるバーキンとバーナート、1929年。

 1928年から1930年のル・マンでは、ウルフ・バーナート本人が、今日まで破られていない大記録を打ち立てた。それは、3度の出場で3度とも優勝したことである。パートナーとして彼の勝利を支えたのが、サー・ヘンリー・バーキン、グレン・キッドソン、バーナード・ルービンだ。この4人は、ベントレー・ボーイズの一団のなかでも中心的なドライバーだった。当時は、「日が沈まないのは大英帝国か、ベントレーの勝利か」という黄金時代であり、クルマのスピードも祝勝パーティーの盛大さも右肩上がりだった。

すべてを持つ男、バーナート バーナートはベントレーに資金を提供しただけでなく、チームのスノビッシュなイメージ作りにも貢献した。ギャッツビーの望んだものをすべて持つ男、それがバーナートだった。2歳にして南アフリカのダイヤモンド鉱山を相続した大富豪で、大学はケンブリッジのトリニティ・カレッジを出ていた。

 アマチュアボクシング、テニス、ゴルフ、水泳の分野でも、全国的に名前を知られており、クリケットの腕前も超一流だった。1928年から1930年まで捕手として大活躍していたが、これはちょうどベントレーを駆ってル・マンで優勝していた時期と重なっている。

 そのプレイボーイぶりもすさまじく、タトラー誌やザ・スフィア紙の社交界欄を、たびたび賑わせていた。しかしその反面、ストイックに努力するタイプでもあり、ピットストップの練習を繰り返し、その様子を撮影して何度もチェックしていた。ベントレー社はバーナートについてこう表現している。

「わが社にとって最高のドライバーだったが、当時のイギリス人ドライバーのなかでも最高の選手だった。一度もミスを起こさず、常に計画通り行動していた」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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