The Bold and the Beautiful

魔性の女、列伝

October 2017

text james medd

 悲しいことに、男爵は同意見ではなかったらしく、1965年にふたりは離婚した。理由を尋ねられた男爵は、刺激のない生活にうんざりした様子で「僕に求められたいなら、もっと他の男の気を引くべきだったんだ」と答えたそうだ。

 彼女はふたりの子供を連れ、42万ポンドの和解金を持ってロンドンへ引っ越し、すぐにヨーロッパ有数の相続人と出会った。今回の相手はアリストテレス・オナシスの息子、アレクサンドロスで16歳も年下だった。

 フィオナは4年間も関係を拒んでいたが、彼が20歳になると陥落し、ふたりの関係は、海運王とその一族から大反対を受けることになる。後に彼女は「オナシスは、私が彼の息子を“手なづける”のではないかと心配していた」と語っている。

 当時の海運王にとって、若い女性の魅力は大歓迎だが、男性の権威に勝るものでは決してなかった。年上の女性は有り得なかったのだ。オナシス自身の結婚では、最初の妻も、2番目の妻となったジャクリーン・ケネディも、20歳以上年下だった。

 フィオナは恋人の財産に興味がないと公言していたし、アレクサンドロス自身の給料で買ったプレゼントしか受け取らなかった。しかし、その誤解が解ける前に、アレクサンドロスは1973年に飛行機事故で、突然死んでしまった。

 その後フィオナも、ニナ・ダイアーと同じように、動物愛護に力を注いだという。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 18
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