The Bold and the Beautiful
魔性の女、列伝
October 2017
自らの持てる武器すべてを使って運命を切り拓いていった女たち。
彼女たちは男勝りの度胸と強烈な個性を備えていた。
フレンチ・リヴィエラでバカンスを楽しむ20 歳のニナ・ダイアー(1950年)
歴史の審判はときに厳しい。有名な悪女の生き様は、とりわけ酷評されることが多い。
「偉大な男性の影には、必ず偉大な女性がいる」というフレーズが存在するのは、何世紀にもわたって、偉大な女性たちが陰に追いやられてきたからだ。しかし中には、表舞台で活躍する大胆な女性たちもいる。
彼女たちの行ったことは、多くの人々に否定されるだろう。けれども、こうした女性たちが、財産や地位を手に入れる方法が“玉の輿”しかないとすれば、カネや権力に惹かれる女性が、美しさやセックスに惹かれる男性より浅はかだなんて、言えるだろうか?
例えば、当時屈指の大富豪2人と結婚して“金目当ての女”、“女版ポルフィリオ・ルビロサ”と揶揄されたニナ・ダイアーを、世間は酷評した。しかし、彼女は毅然として反論している。
「私はヤリ手だと言われたけれど、まったくの嘘よ。何もしなくても幸運がやってきたの。私の人生はずっとそんな感じだったのよ」
ニナにとっての幸運は、偶然にも圧倒的な美しさとセクシーさを持っていたことだ。彼女はこれらを武器に、のどかな植民地での暮らしを捨て、裕福で華やかな世界を選んだ。
1930年にスリランカ(当時のセイロン)で茶園の英国人オーナーとインド人妻の間に生まれたニナの境遇は、十分に満ち足りていたが、彼女はさらに上を目指し、20歳になると父の母国へ旅立った。最初はリバプールで演劇を学び、やがてロンドンに移ってショーモデルとして働いた。
ネコを思わせる目、ふっくらした唇、シーンに応じてお茶目な恋人からエレガントな大人の女性に変貌できる演技力を持つ彼女は、モデルという仕事とそのライフスタイルになじんでいった。パリにわたってピエール・バルマンに気に入られ、リヴィエラのヨットやヴィラで催されるパーティーの常連になった。
1953年までには、オランダ生まれの実業家、ハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサ男爵の心をつかむ。“ハイニ”という愛称で知られる彼は、製鉄業と軍需産業から得た巨万の富を相続していた。