Miller’s tale

ロバート・ミラー:
DFS創業者、その野心

March 2017

text james medd
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ピア、アレクサンドラ、マリー・シャンタルのミラー3姉妹。ダイアン・フォン・ファステンバーグのショーにて(1997年)

対照的な億万長者 ミラーとフィーニーは30年にわたっておおむね良好な関係を続けた後、意見の食い違いから1996年に袂を分かった。免税市場が下り坂に差し掛かっていると感じたフィーニーは自らの持ち株をラグジュアリーコングロマリットのLVMHグループに売却し、2社の少数株主もこれに追随した。ミラーはこの売却に大反対し、自らの持ち分を売ろうとはしなかった。彼にとって、これは金よりもステイタスの問題だったのである。

「DFSが私の会社ではなくなってしまう。私の子供じゃなくなってしまうんだ」と彼は語った。そして、さらに事態は悪化する。フィーニーは160億ドル以上を手にしたが、頑なに反対したミラーは、アジアの経済危機による事業の急激な低迷に直面することになった。

 時を同じくして、彼はLVMHグループの総裁ベルナール・アルノーと衝突。「DFSは“中核事業ではない”」というアルノーの発言にミラーが激怒し、裁判沙汰に至ったのだ。ミラーはアルノーが「取得した企業の資産をLVMHの利益のため に利用し、株主の利益を考えていない」として告訴した。

 この騒ぎはミラーの心身に多大な悪影響をもたらしたが、DFSが一定の独立性を維持し、中国市場が拡大したことで、問題は解決した。いまやミラーは両社を「最高のパートナー」と称しており、アルノーはミラーの娘ピアを、LVMHが擁するセフォラのアンバサダーに起用したこともある。

 ミラーと袂を分かったフィーニーは資産や収入のほとんどを自らの慈善団体であるジ・アトランティック・フィランソロピーにつぎ込んでいった。彼は世界中の億万長者に、自らの富を良いことに使うように説き、ビル・ゲイツ財団に大きな影響を与えたといわれている。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 14
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