Friday, March 17th, 2017

Miller’s tale
DFS創業者、その野心

マサチューセッツ州にある小さな町で生まれたセールスマンの息子、
ロバート・ミラーは、免税店チェーンで巨万の富を得たが、ビジネスの成功だけでは満足しなかった。
ミラーは世界の上流階級への仲間入りを望み、貴族的なライフスタイルへ憧れた。
そして知略をはり巡らし、3人娘の政略結婚によって、ついに自らのドリームを実現したという。
text james medd

He has always been a fierce
competitor,and there is
no argument that he has
succeeded in all has undertaken.
彼は昔から負けず嫌いで会ったし、
これまでの勝負で常に成功してきたのは言うまでもない。

娘たちのゴージャスな結婚

 1965年に結婚したミラー夫妻はニューヨーク、ロンドン、香港で3人の娘をもうけた。1966年に誕生した長女のピア、2年後に生まれた次女のマリー・シャンタル、1972年に生まれた末娘のアレクサンドラである。娘たちは、億万長者の子女が集まるスイスのル・ロゼをはじめ、一流ボーディングスクールを経て、アメリカ有数の大学でアート史を学び、誰もがうらやむような夫と結婚した。
 最初に結婚したピアのお相手はクリストファー・ゲッティ。石油王ジャン・ポール・ゲッティの孫だ。ゲッティ家は、ロックフェラー家やアスター家、ヴァンダービルト家に並ぶアメリカの名門一族であり、もちろん莫大な財力の後ろ盾もある。
 後のふたりはヨーロッパに目を向けた。末娘のアレクサンドラは1995年に、イーゴ・フォン・ファステンバーグ公爵の息子、アレキサンダーと結婚した。ファステンバーグ家は14世紀から続く貴族で、18世紀よりドイツ皇族の流れをくむ家系である。この一族は昔から新興成金と縁が深く、新世界にも進出していた。
 なかでも有名なのはアレキサンダーの母、ダイアンである。ブリュッセルのユダヤ系小売店主の娘として生まれた彼女は、ファッションデザイナーとしてよく知られている。
 ニューヨークで行われた披露宴は3日間も続き、香港をテーマにしたブラックタイ・パーティがバッテリー・パークで催された。竹を植えた温室でカクテルがふるまわれ、4ツ星シェフのダニエル・ブールーによるディナーが中国風の大型テントで供された。

ダイアナ妃以来の結婚式

 もっとも、3人娘の中で最高の結婚をしたのはマリー・シャンタルである。彼女は1995年にギリシャ王コンスタンティノス2世の長男、パウロス王太子に嫁いだのだ。結婚式はロンドンにあるギリシャ正教の聖ソフィア大聖堂で行われ、チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式以来、最多となる王侯貴族が列席した。英国、デンマーク、スペインの王室に加えて、ベルギー国王夫妻やブルガリア皇帝夫妻、さらにはアガ・カーンやルパート・マードックといった世界の大物まで、そうそうたる顔ぶれだったという。
 結婚式に先立ち、エリザベス2世主催のパーティがクラリッジス・ホテルで開かれ、リハーサルディナーがケント州のルータムパークで催された。このディナーを取り仕切ったケネディ家御用達のイベントプランナー、ロバート・イザベルはふたつの大型テントでパルテノン神殿を再現し、参道に並べた壺にはエクアドルから取り寄せたイエローやオレンジのバラを、10万本もあしらった。
 1,400人を招待した披露宴の会場は、ヘンリー8世の居城だったハンプトン・コート宮殿。ヴァニティフェア誌によれば「おそらく、英国史上最も豪華な婚前・結婚パーティ」だったという。
 ミラーは3人の娘にそれぞれ2億ドルの持参金を持たせたといわれている。これが、娘の望みはなんでも叶えてやる甘い父親の心遣いなのか、それとも社交界での地位を確立しようとする野心の表れなのかは、意見が分かれるところだ。
 娘たちは社交界の人脈を作りやすい学校や大学に入り、ニューヨークでパーティを巡り、グシュタードで冬を過ごしていたから、ミラー夫妻が世界を股にかける富裕層らしく振る舞おうと必死だったのは間違いない。

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マリー・シャンタルとピア、フランスのカップフェラにて(1991 年)

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ロバート・ミラー(1990年代)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 14
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