GOTTCHA

最後のドン、ジョン・ゴッティ

April 2024

後にゴッティに殺害されるマフィアのボス、ポール・カステラーノ。自首後にFBI 捜査官に護送されている(1984年)。

 ニューヨークのドンという伝説的なイメージを印象づけるために、クイーンズで街ぐるみの慈善パーティを企画し、出身地ブルックリンの病院にも惜しみなく寄付した。その見返りとして、自らの名を入れた額をロビーに飾らせたのは言うまでもない。「世間の評判が気になりますか?」と聞かれたゴッティは、「いやいや、みんな私のファンなんだ。私のことが大好きなのさ」と答えたという。

 ロビン・フッドのように民衆から愛されているという彼の認識は、あながち間違いではなかった。恐喝の容疑で起訴されたゴッティが無罪放免になったときは、地元の人々が自宅周辺の木々に黄色いリボンを結んで歓迎してくれたのだ。

やられたら、やり返す だが彼はもともと、やられたらやり返すという、残忍なやり方を好むボスだった。典型的な武闘派マフィアといえる。イタリア移民の子として13人兄弟の5番目に生まれ、サウス・ブロンクスとイースト・ニューヨークの貧しい地区から這い上がってきた男だ。4人の男兄弟は、みなマフィアに加わっていたから、犯罪以外の選択肢はなかった。

 12歳のとき、ニューヨーク5大ファミリーのひとつであるガンビーノ一家の使い走りとして、裏の世界に足を踏み入れる。使い走りを卒業して、アイドルワイルド空港でトラックを強奪し、獄中の中休みを何度かはさみながら、裏の世界で順調に出世していった。

 だが、ボスのカルロ・ガンビーノが死ぬとピンチが訪れた。新しいボスのポール・カステラーノはゴッティの麻薬取引やギャンブル癖(一晩で3万ドルもすったことがあるらしい)を快く思っていなかったのである。ゴッティはカステラーノと対立した。そして1985年のクリスマス前、カステラーノはマンハッタンにあるスパークス・ステーキ・ハウスの外で襲撃されて死ぬ。それから1カ月もしないうちに、45歳のゴッティが、当時最強のマフィア・ファミリーのドンとなり、年間5億ドルの金と2千人のメンバーを動かすようになった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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