GOTTCHA
最後のドン、ジョン・ゴッティ
April 2024
ジョン・ゴッティのマグショット(逮捕後に撮影される顔写真、1968年)。
とびきりの洒落者 絶頂期のジョン・ゴッティはニューヨーカーに大人気で、彼が第1面に登場した新聞は完売したという。彼の事件を担当したFBI捜査官のブルース・モウによれば、ゴッティは「メディアに露出した最初のドン」だった。彼はマフィアのボスらしいイメージを演出した。ライバルが地下に潜り、ひそかに活動しているときに、ボディガードたちを引き連れ、ニューヨークの街を肩で風を切って歩き、ドアも子分に開けさせていた。
彼ほどおおっぴらに自らの稼業をアピールしたボスは、アル・カポネ以来いなかった。尾行する警察官や捜査官をあからさまにからかい、通り過ぎながら手を振ったり、子分にコーヒーを持って行かせたりしていた。こうした傲岸不遜な態度にもかかわらず、なかなか捕まらないため、“テフロン・ドン(コーティング素材のように傷のつかないドンの意)”というニックネームもついた。
若い世代のマフィアが着るようなカジュアルウェアを認めず、富と権力を誇示する装いを好んだゴッティを、“ダッパー・ドン(粋なドン)”と呼ぶ者もいた。
彼が好んだのは、由緒正しいテーラーだった。ブリオーニがお気に入りで、2千ドルのビスポーク・スーツに、手描きのフローラル・シルクタイとポケットチーフをコーディネイト。その上にキャメルのコートを羽織り、カシミアのスカーフを合わせていた。靴はハンドメイドで、ソックスはイニシャル入りだった。
ヘアスタイルにも手は抜かない。毎日、シルバーの髪を80年代風のふんわりした髪型に整えるため、事務所に理髪店の椅子を置いていた。カット、シャンプー、ブローをしながらマニキュアを施してもらうと、子分がアイロンを掛けたばかりのスーツに着替える。彼はこうしたスタイルを部下にも求めた。“カッコいい”というだけの理由で、4人のヒットマンにお揃いのトレンチコートを着せ、毛皮の帽子をかぶらせて送り出したこともある。
ライフスタイルもまた豪勢だった。運転手のローテーションを組んで、メルセデスやリンカーンで送り迎えさせた。ブルックリンに大型の高速ボートも持っていた。タオルミーナやSPQRといったマンハッタンの一流レストランの常連で、いつも子分を従えて出かけた。彼はレジーヌズ(有名なナイトクラブ)で金をばらまき、ピアニストがお気に入りの曲『愛は翼に乗って』を演奏したときは、特に気前が良かった。