COUP DE GRACE

グレースという贈り物

January 2017

text nick foulkes

シングルスカル種目に出場する、グレースの父ジャック・ケリー(1920年)

ふたりを結びつけた愉快な司祭 どうやらこの結婚を奨励したのは、レーニエ大公の司祭を務めていたタッカー神父らしい。20世紀の聖職者の中でも、彼はなかなか面白い人物だった。

 モナコに関するアン・エドワーズの歴史書『The Grimaldis of Monaco(原題)』によると、宮殿内には、タッカー神父が若き大公に“ラスプーチンのような影響”を与えていると中傷する者もいた。しかし彼はラスプーチンというより、むしろ托鉢修道士タッカーと呼ぶほうが似つかわしかった。陽気なタッカーは、60代にしてスクーターを乗り回す司祭だった。

 教皇庁の命によりアメリカからやってきた彼は、花嫁の最終候補者リストを作成していたようだ。候補者はきわめて少なく、その中には、イギリスの華麗な若きプリンセス、マーガレット王女も含まれていた。だが賢明なタッカーは、グリマルディ家とウィンザー家の縁組みは、少々目標設定が高すぎることに気づいた。しかもウィンザー家は、そもそもカトリック教徒ではなかった。

 そんなジレンマに陥っていたところ、ある要請が宮殿に舞い込んだ。映画祭のためにカンヌに滞在しているグレース・ケリーという若いアメリカ人映画スターを、モナコ公国に招きたいというのだ。断る理由はなかった。なにせ、ハリウッドの華やかさを拝借できれば、観光客の獲得につながるかもしれないのだから。

 このときタッカーが、思いついたアイデアは、まさに革新的だった。アメリカ人である彼は、コラムニストのギギ・カッシーニがゴシップ欄で称揚するような人々が、どんどん重要視されてゆく状況を目の当たりにしていたのだ。そして、そんな新しい世界秩序において、映画スターがかなり重要な地位を占めていることに気づいていたのだった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 13
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