BLUE-EYED GIRL

フレンチポップス界の才媛、フランソワーズ・アルディ

March 2023

かの有名なフランスの女性歌手は、かつてこう言った。「人が歌うものは、その人自身を表現するもの」。悲哀と明るさでポップバラードを芸術の域へと高めた、フランソワーズ・アルディの魅力に迫る。
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Françoise Hardy / フランソワーズ・アルディ1944年、パリに生まれる。ソルボンヌ大学で学ぶ傍ら音楽に目覚め、18歳のときに『男の子と女の子』でデビュー。繊細で物憂げで知的、さらにファッション・リーダー的存在でもあり、雑誌の表紙を飾るモデルとしても活躍。次第に憂いのある歌声を利かせた独自の境地を開拓し、60年代後半からはシンガーソングライター路線を強める。歌手ジャック・デュトロンが長年のパートナー。

 1966年5月24日の夜。その日25歳の誕生日を迎えたボブ・ディランは、パリで初のライブを行う予定だった。ところがそこに問題が発生する。「フランソワーズ・アルディが来てくれないとステージには上がらない」と、ディランが言い出したのである。ふたりに面識はなかったが、ディランは4枚目のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』の裏ジャケットに、アルディに捧げた恋文ともとれる詩を載せていた。

「フランソワーズ・アルディに捧げる/セーヌ川のほとり/ノートルダムの/大きな影が/僕の足を捕まえようとしている/ソルボンヌの学生たちが/幅の狭い自転車で駆け抜ける……」

 アルディが彼の願いを聞き入れたことで、ライブは無事開催された。その後、彼女はジョニー・アリディを伴い、ディランが宿泊していたホテル・ジョルジュ-サンクを訪ねた。ディランは彼女を招き入れると、アルバム『ブロンド・オン・ブロンド』の見本盤をターンテーブルにのせ、『 IWant You 』と『Just Like a Woman』の2曲を聴かせた。アルディは後に『ガーディアン』紙にこう語った。

「彼の言いたいことははっきりわかりました。でも、私は曲を聴くことに夢中でした。それまで聴いてきたものとはあまりにも違う音楽だったので」

 この逸話だけで、フランス、いや世界が生んだカリスマシンガーの素朴で純粋な魅力が伝わってくる。アルディは1962年に、自身で作詞作曲した『男の子と女の子(Tousles Garçonsetles Filles)』でデビュー。一躍人気を博し、アルバムはフランスでダブルミリオンセラーを突破。エディット・ピアフが18年がかりで打ち立てた記録を18カ月で塗り替えてしまった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 49
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