BLUE BLOODS

王族破廉恥物語:“ブルーブラッズ(貴い血統)”たちの生態

October 2023

text ed cumming

エドワード7世。統治能力はさっぱりだったが、お洒落は素晴らしかった(1870年頃)。

女のために王位を捨てる “セックス”は君主にとって常に難題であった。英国王室も例外ではなく、女性をめぐって多くの問題が起きている。ヘンリー王子について、批評家たちは、結婚した相手が間違っていたのだと言っている。しかし、先人たちの多くは、すでに自らが既婚だったか、もしくは既婚女性に夢中になってしまったことが問題だった。

 最も有名な例はエドワード8世(1894~1972年、後のウィンザー公)である。その父のジョージ5世は、当時首相であったスタンリー・ボールドウィンに「自分が死んだら、息子はそれから12カ月以内に、自らを破滅へと追いやるだろう」と洩らしていた。そしてその通りになった。エドワード8世は、父が亡くなった1936年に王位につき、同じ年、ウォリス・シンプソンと結婚するために王位を退いた。

 何世紀にもわたって、“エドワード”と名がつく国王の行動を見てみると、はっきりとしたパターンがあることがわかる。

 ヴィクトリア女王の息子であるエドワード7世(1841~1910年)は、その生涯の大半において、統治には無関心で、その代わりギャンブルと飲食に没頭した。英国の史書『1066 and All That』によると、彼は“葉巻を吸い、英仏協商にハマり、バイキングの娘と結婚し、虫垂炎を発明した”のである。

 伝記作家によればエドワード7世は非常にお洒落で、ディナージャケット(タキシード)、ターンアップ・トラウザーズを発明したのも彼だという。そして何より、エドワード7世は女たらしのチャンピオンだった。プロ、アマ問わず、さまざまな美女と付き合った。彼はデンマークの王女アレクサンドラと結婚したのだが、彼は彼女を“繁殖用の牝馬”と呼んでいた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 53
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