July 2023

A CAROLEAN PAEAN

チャールズ讃歌

チャールズ国王の時代がやってきた。彼の人柄や考え方については、何も疑うところはない。変わる可能性があることといえば、彼が何を成し遂げられるか、そして神がどれだけの時間を彼に与え給うかである。国王の戴冠に敬意を表する。
text simon de burton

Charles III / チャールズ3世1948年、即位前のエリザベス女王とフィリップ王配の長男として生まれる。1981年にスペンサー伯爵の三女・ダイアナと結婚。ふたりの王子をもうけるが、結婚前から交際していたカミラとの不倫関係を継続し、1996年に離婚。2005年にカミラと再婚。2022年にエリザベス女王が死去したことにより新国王に即位。

 物書きとして食べていけると自信を持つ前、私は通信社という生き馬の目を抜くような世界で働いていた。そこは記者たちにとっての研鑽の場でもあった。我々の多くは20代で、地方紙に“奉公”したあと、全国紙の仕事を得るためのつなぎとして通信社に就職したものである。

 全国紙は、このような通信社を利用してそこそこ面白そうなネタを発掘し、自社の記者(高給取り)に引き継がせておいしいところをさらってゆく。つまり、通信社とはジャーナリズムにおける歩兵のような存在である。単調な雑用に勤しむ一方、想像以上に大きなリスクを背負う。にもかかわらず、大枠としては完全に使い捨てのような存在なのである。

 そんな生き方への幻滅が私の中で頂点に達したのは1993年のこと。勤めていた通信社が、チャールズ皇太子(当時)とカミラ・パーカー・ボウルズの間で交わされた電話の盗聴記録「カミラゲート」に関する噂について、さらに掘り返そうと躍起になっていた頃だ。生々しい詳細には踏み込まないが、Netflixのドラマシリーズ『ザ・クラウン』を見た人ならよくご存じだろう。テープの文字起こしを読みたければネットで難なく見つかるはずだ。

 未来の国王があのような会話を交わしていたことに驚かされただろう。とはいえ我々は皆人間であり、恋人同士というのは馬鹿な内緒話をするものだ。それに金儲けのために会話を盗み聞きする輩ほど下賤なものはない。だから私は、電話の通話内容よりもそれについての記事を掲載することのほうがよっぽど不快だと感じた。そして何より、私はもともとチャールズのファンだった。面識はないが、タブロイドニュース合戦からさっさと手を引こうと心に決めたのである。

 あれから30年経った今でも、私は「カミラゲート」と「スクウィジーゲート」(1989年の大晦日にダイアナが恋人ジェームズ・ギルビーと電話で交わした会話の記録)の報道に、不本意ながらも関わったことを恥じている。その大きな理由は、我らの新国王、チャールズがとにかくナイスガイだからだ。確かに彼の次男のハリーは「壊れた家庭」の出身であることを嘆くかもしれないし、母の死が息子たちに与えた影響を軽視することはできない。しかし、チャールズの生い立ちも決して安楽ではなかったのだ。

 彼は確かに華やかな富と特権の中に生まれたが、親の愛に包まれて幼少期を過ごしたわけではない。英国海軍将校でもあったフィリップ王配は、チャールズが生まれてから2年間はほとんど息子の顔を見なかったという。それにチャールズが5歳だった1954年の春、半年に及ぶ英連邦歴訪から戻った両親は、熱烈なハグとキスではなく、厳かな握手で息子に挨拶した。チャールズがどんな気持ちだったかを思うと、胸が痛む。

 チャールズは王位継承者として初めて宮殿外で教育を受けた。一般の子どもたちと交流しともに生活ができるよう、ナイツブリッジのヒルハウス校に送られた。彼はそこで絵画の才能を発揮するが、フィリップ王配は“そんな生ぬるい活動”をしていることを知ると息子を退学させ、ハンプシャーにある昔ながらの寄宿学校に行かせることにした。そこでチャールズは突き出た耳、体重、運動神経のなさをさんざんからかわれることになる。

妹のアン王女(左)と。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 53