Friday, March 17th, 2017

Miller’s tale

DFS創業者、その野心
マサチューセッツ州にある小さな町で生まれたセールスマンの息子、
ロバート・ミラーは、免税店チェーンで巨万の富を得たが、ビジネスの成功だけでは満足しなかった。
ミラーは世界の上流階級への仲間入りを望み、貴族的なライフスタイルへ憧れた。
そして知略をはり巡らし、3人娘の政略結婚によって、ついに自らのドリームを実現したという。
text james medd

 一代で偉業を成し遂げた人物には「野心」という共通点がある。免税店DFSを興した億万長者、ロバート・ミラーの場合もまたしかりだ。彼は庶民の出ながら、世界の長者番付の常連にまで昇りつめた。プライベートでは欧州の貴族階級に憧れ、娘たちを世界の名家に嫁がせた。
 いろいろな意味で、アメリカンドリームを実現し、莫大な富によって高い社会的地位を得た成功者の典型といえよう。残る疑問は、ありきたりではあるが、「社会的地位は成功の副産物なのか、それとも動機そのものなのか」という点だ。
 ミラーは1933年にマサチューセッツ州のクィンシーという小さな町で、石油会社のセールスマンをしていた父と、住み込みの家庭教師をしていた母のもとに生まれた。成績はごく普通だったが、奨学金を得てコーネル大学に進学。裕福な学生の中で、彼のようにウェイターのアルバイトをして生計を立てる者はまれだった。大学を卒業すると、冒険を求めてバルセロナに行き、リッツホテルのフロントで働いた。
 そこで、コーネル大学ホテル学科の同級生だったチャールズ・フィーニーと再会する。ふたりは米国の海兵隊員に酒を売るというビジネスを始めた。英国伝統校のオールドスクールタイに匹敵する、名門コーネルのカレッジリングがあれば、同窓生の士官たちが必ず集まってくれたのだ。
 ふたりはミラーが貯金していた3千ドルを元手に、香水やカメラ、ラジオにも手を広げ、当時はまだニッチだった、免税ビジネス業界に進出した。1960年にはDuty Free Shoppers(DFS)を創業し、ホノルルと香港の空港に出店した。
 1964年の日本において、戦後の渡航制限が廃され、自由に海外旅行ができるようになり、贅沢品を求める日本人観光客が急増した。先見の明があるミラーとフィーニーはツアーガイドを雇い、海外旅行が初めてで右も左もわからない観光客たちを、ホテルにチェックインする前にDFSの店舗へと誘導した。
 DFSは太平洋全域に事業を拡大し、やがて250億ドル市場に成長した免税ビジネス業界のトップに君臨するようになった。その事業規模は目覚ましく、サイパンでは空港ビルの建設費を賄うほどであった。少数株主が2社ほどあるものの、ミラーとフィーニーは年間10億ドルにのぼる利益を、それぞれ40パーセントずつ確保した。
 これほど儲かると、その金をどう使うのかという問題が生じる。これを解決したのは、ミラーの妻マリア・クララ・ペサンタスだった。エクアドルで建設作業員の娘として生まれた彼女は、美しく、夫にひけを取らない野心を持ち合わせていた。夫妻はマリアがインカ皇帝の直系子孫だと主張し、あるパーティでは彼女は、プリンセスのような装いで熱気球に乗って登場した。ミラー自身も、スコットランド王ウィリアム1世をはじめ、ヨーロッパ各国の王族まで祖先をたどり始めた。それが、次に起こることの前触れだった。

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ロバート・ミラー(1990年代)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 14
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