THE MESSIAH OF DYSTOPIA

アンドリュー・リンカーン インタビュー
“演技”という名の探検

Thursday, August 19th, 2021

俳優アンドリュー・リンカーンは、礼儀正しく寛大で、極端なほどにまともだ。
ドラマ『ウォーキング・デッド』のファンにとっては違和感があるかもしれない。
リック・グライムズという役を通じて、非現実的なほどの名声を手に入れたリンカーン。
彼はその波に乗るのを楽しむだけだと語った。
text wei koh
photography ruven afanador
fashion and art direction sarah ann murray

Andrew Lincoln / アンドリュー・リンカーン1973年、南アフリカ人の母とイギリス人の父の元に生まれる。キングストン・アポン・ハルとバースで育ち、英国王立演劇学校へ進学。俳優を志す。テレビドラマを中心に活躍後、2003年映画『ラブ・アクチュアリー』に出演。2010年、ドラマ『ウォーキング・デッド』の主役リック・グライムズ役に抜擢される。現在一男一女の父でもある。

 地平線からひとりの男が歩いてくる。数えきれないほどの戦いを生き抜いてきたその男の顔は、険しさを増していた。この6年間、何度も生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされてきた。秩序、哀れみ、脆(もろ)さが忌み嫌われる世界で、仲間たちを率いていく。まさに暗黒郷の救世主、もしくは不毛の地のモーセのような存在だ。男は私たちのところまで歩いてくると、突然にっこりと微笑んだ。そして「コッツウォルズへようこそ」と言った(コッツウォルズはゾンビの蔓延る世界とは似ても似つかぬ場所である)。この男こそが、テレビドラマ『ウォーキング・デッド』の主役、リック・グライムズ役を演じたアンドリュー・リンカーンである。

 30分経っても、まだ少し頭が混乱していた。ゾンビキラーの彼が、ウェスタンシャツにジーンズという出で立ちで、ミルクと紅茶をどのように混ぜるのがベストか頭を悩ませていたのだから。「ミルクが先だって言われてきた」と、嬉しそうに語るリンカーン。そして如才なく付け加えた。「とはいえ、自分がいる地域の慣習に従うようにしているよ」。

待ち望まれたリーダー像 リック・グライムズとは何者だろうか。簡単に説明すると、父親、夫、殺人者、リーダー、友人、仲間、モンスター、救世主、これらすべてを合わせた存在だ。

 ジャン=ジャック・ルソーの合理主義的で人道主義的な哲学と、フリードリヒ・ニーチェが『ツァラトゥストラはこう言った』の中で示した、神の死後の非理知的で超越的な存在である超人とを掛け合わせたような人間。そんな人間が、家族を守りたいという揺るぎない想いを持って、血まみれの拳、コルトパイソン.357マグナム、赤い持ち手の鉈(なた)、そして驚異的な回復力を武器に、ゾンビが蔓延る世界に送り込まれる。

 彼は単に原作コミックをドラマ化した作品から生まれたキャラクターではない。いわば、視聴者たちのヒーロー像が形になったものだ。流行りのアンチヒロイズムに逆らう、古代神話の原型を思わせるような、十年にひとりの魅力的なスクリーンヒーローである。彼の登場はこれ以上ないタイミングだった。私たちはヒーローの登場を待ちわびていた。

 テレビドラマの世界では、『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』以来ずっと、危険なキャラクターが受け継がれてきた。この20年のドラマ業界では道徳的に曖昧なほうがキャラクターの複雑性が増すという信仰が蔓延していた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue11掲載記事
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