I’VE GOT SOLE BUT I’M NOT A SOLDIER

手仕事の最高峰、
ジョージ・クレバリーの夢を叶える

April 2020

ビスポーク靴の製作は、気短な人には向かない。
根気と熱意、そして少なからぬ愛情が、職人にも依頼者にも求められるからだ。
だがTHE RAKEの編集長は、その道のりにはそれだけの価値があることを知った。
そして、両手で持てるその芸術作品が、世代間のかけ橋となることも。

 

text tom chamberlin photography kim lang

クレバリーでは、“ケンジントン”と呼ばれるシンプルでプレーンなスリッポン・タイプのデザインをチョイス。本体はブラック・カーフ製。アクセントとなっているのは、甲部分に渡されたリザード製のストラップだ。

 ある人にとってのラグジュアリーは、愛すべき子供たちが暮らす家庭において、平穏と静寂を満喫することだろう。またある人にとっては、旅客機で“同時に2名様まで”しか入れないシャワーとフラットベッドを備えた個室を使う特権を意味するのだろう。どんなものでも誰かにとってはラグジュアリーになり得るという主観的な意見もあるが、真のラグジュアリーは、クラフツマンシップによって“日常的ニーズと芸術性を橋渡しするもの”というのが私の持論だ。その芸術性は、ベーコンやバッハと並び立つほどの、はるかな高みに到達することがある。

 それは家具に出現することもあれば、仕立て服や時計などのアクセサリー、葉巻や各種のアルコール飲料に現れることもある。だが、もし私が何かひとつを選ぶよう求められたら、“ラグジュアリー”という言葉を最も深く表現するのは、ビスポーク靴作りだと答えるだろう。

 私がTHE RAKEにたどり着き、ついにはそこの編集長を務めるに至ったのは、父のビスポーク靴コレクションによるところが大きい。若い頃の私にとって、美しい靴はモテるために履くものではなかった。実際、つやつやに磨いたフルブローグシューズやタッセルローファーを履き、ジーンズやTシャツを着ていても、女性に囲まれたりはしなかった。

 だがそうした靴は、自分がその場で一番スマートであるかのような気分にさせてくれた。だから私はどこでもそれを味わおうとするようになった。靴というありふれたアイテムでも、高揚感を得られることがわかり嬉しかったのだ。私のスマート気取り症候群はなかなか治らず、逆にひどくなる一方だった。10代半ばになると、ひとつの名前に憧れるようになった。それが、“クレバリー”だ。


ラストルームでの本誌トム・チェンバレンとジョン・カネーラ氏。
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