Excavating Ghosts
The many faces of Japan
発掘され続けるゴースト
「ジャパン」のさまざまな顔
September 2022
『クワイエット・ライフ(Quiet Life)』
1979年9月、ジャパンはレコーディング・スタジオに戻り、3枚目のアルバム『クワイエット・ライフ』を録音した。バンドは、モロダーが自分たちの新曲をプロデュースするのに適した人物だとは思っていなかった。その代わりに、ロキシー・ミュージックやブライアン・フェリーのソロアルバムを手がけていたジョン・パンターを起用した。
彼とジャパンが制作したアルバムは、最初の2枚のアルバムの古臭い荒っぽいロックンロールから、新しいシルキーかつスムースで官能的なサウンドに変わった。ギターではなくピアノで曲を書くようになったデヴィッド・シルヴィアンは、これまでとはまったく違う曲を披露した。メンバーそれぞれのスタイルや音楽性も大きく変化しているように見えた。
リチャード・バルビエリによる泡立つようなシンセサイザーのレイヤー、ミック・カーンのフレットレスベースによる独特のライン、スティーブ・ジェンセンのダイナミックなドラミング、ロブ・ディーンの雰囲気満点のギターノイズ、デヴィッド・シルヴィアンの官能的な歌声、そして25人編成のオーケストラ……。『クワイエット・ライフ』は、「とてもヨーロッパ的なアート・ポップ」と評された。ジャパンは、未来的でありながら時代を超越したアルバムを作り上げたのである。
1979年11月にリリースされたこのアルバムは、バンドにとって母国での初のチャート入りを果たした。全英13位を記録し、10万枚を売り上げ、ゴールドディスクを獲得した。日本でも成功を収めたが、オリコンチャートでは24位と、最初の3枚のアルバムの中では最も低いポジションとなった。
バンドは常に自分たちはムーブメントの一部ではないと言い続けてきたが、『クワイエット・ライフ』はニューロマンティック・ムーブメントの最初のアルバムと評されている。ジャパンは疎んじていたが、マスコミがニューロマンティックの主役として宣伝したことで、新しいアイドルに飢えていた多くの若者たちの目に止まり、彼らの音楽が注目されるようになったことは間違いない。
前2作を知らない新しいオーディエンスは、ジャパンの新しいイメージと『クワイエット・ライフ』を受け入れたのだ。デュラン・デュランの初期のサウンドは、このアルバムにインスピレーションを受けて生まれたと言える。ジャパン自身も後に、『クワイエット・ライフ』が彼らの音楽的なキャリアの中で大きなターニングポイントになったと認めている。
このアルバムの制作中は、それまでのアルバムを作る際よりもアーティストとしての自由度が高かった。ジョン・パンターというプロデューサーは、彼らのことを真剣に考え、個人として、ミュージシャンとして尊重しただけでなく、彼らのポテンシャルを最大限引き出すように促したのだ。
1982年にこのアルバムを振り返って、リチャード・バルビエリは次のように語っている。
「レコーディングしたとき、今までで最高の出来だと感じたんだ。このアルバムはいつ聞いても満足できる仕上がりだ」
同じインタビューの中で、デヴィッド・シルヴィアンは、こう言っている。
「われわれはこのアルバムでピークに達した。自分たちが何をしているのかが、分かっていたのだ」
このアルバムは79のバージョンがリリースされたといわれている。最近では2021年にデラックス・マルチディスク・ボックスセットが発売された。