Excavating Ghosts
The many faces of Japan

発掘され続けるゴースト
「ジャパン」のさまざまな顔

September 2022

 

 

『錻力の太鼓(Tin Drum)』

 

『錻力の太鼓 + 4 』

紙ジャケット仕様/ボーナス・トラック4曲収録

UICY-79986  ¥2,934 2022/6/22発売

 

 

 

 1959年に出版されたドイツの作家ギュンター・グラスの小説『ブリキの太鼓』にちなんで名付けられたこのアルバムは、ジャパンにとって最後のスタジオ・アルバムとなった。1981年の『錻力の太鼓』は、並外れた音楽的冒険の集大成であり、難解な傑作となった。また、このアルバムは、ジャパンにとって最も売れ、記憶に残るシングルを生んだ。

 

 バンド内の不和を考えると驚くべきことだが、このアルバムは英国のオックスフォードに近い小さな村、シンプトン=オン=チャーウェルにあるリチャード・ブランソン所有の大邸宅内のレジデンシャル・レコーディング・スタジオ、“ザ・マナー・スタジオ”で録音された。つまり、アルバムのレコーディング中、バンドは一緒に暮らすことになったのだ。

 

 バンドの関係修復のための試みだったのかもしれないが、この状況は理想的とは言い難かった。しかし、ジャパンにはヴァージンからヒット作へのプレッシャーがかかっていたのだ。

 

 ミック・カーンは、「われわれはこれが最後のアルバムになるだろうという気持ちで始めた」と当時を振り返っている。かつて親密だったデイヴィッド・シルヴィアンとの個人的、仕事上の関係も崩れつつあった。シルヴィアンは、「あのアルバムを作ることで、バンド内の関係はかなり硬直したものになった」と語っている。

 

 セッションを支えていたのは、ジャパンの新しいプロデューサー、スティーブ・ナイだった。彼はジャパンの音楽をよく知らなかった。そしてジャパンのアルバムはこうあるべきという先入観を持たないように、レコーディング・セッションの前には彼らの音楽を一切聴かないことにしていた。

 

 そのことが、唯一無二のアルバムの制作につながったのかもしれない。それは、ジャパンや他のどのバンドが作ったものともまったく異なる1枚になった。デヴィッド・シルヴィアンとリチャード・バルビエリは、ベーシック・トラックを非常に手間をかけて録音した。そのため、他のメンバーはすっかり時間を持て余してしまった。

 

 ミック・カーンは、『錻力の太鼓』のレコーディング・セッションからあまりに長い間離れていたので、シルヴィアンは後に彼の役割をセッション・ミュージシャンだと断じたほどだ。

 

  バンドが崩壊しつつあったという事実が、『錻力の太鼓』をより一層注目すべきアルバムにしている。リチャード・バルビエリはこのアルバムについて、「われわれが実際に何かを作り出した最初のアルバムだった……完全にオリジナルだ」と語っている。

 

 しかし、完成したアルバムを聴いたヴァージンは、さぞかし心配したことだろう。ドイツの現代音楽家カールハインツ・シュトックハウゼンにインスパイアされたエレクトロニクスと、東洋の影響をあからさまに受けたその組み合わせは、商業的に成功するアルバムのあるべき姿とは正反対のものだった。

 

 しかし、1981年11月にアルバムが発売されると、音楽ファンや批評家はその「アバンギャルドなキュビズム・ポップ」をいたく気に入った。『錻力の太鼓』は全英チャートで12位を記録し、ジャパンにとって3枚目のゴールドディスクとなった。日本では38位となった。

 

 批評家はほぼ満場一致で、このアルバムを「ポップス史に残る唯一無二の偉業」と評した。

 

 このアルバムの中で特に目を引いたのは、ミニマルなエレクトロニックの傑作『ゴースト(Ghost)』である。ヴァージンはこの曲をシングルとしてリリースすることに難色を示したが、リリースしてみると1982年3月にイギリスのチャートで5位を獲得し、ジャパンのシングルとして最高位を記録した。40年経った今でも、全英チャート史上、最も「異質な」ヒット・シングルである。

 

 『錻力の太鼓』のリリース後、ジャパンはそのプロモーションのために“UK Visions Of China”ツアーを開始し、デヴィッド・ローズがロブ・ディーンの代わりにギターで参加した。このツアーの後、デイヴィッドとミックの不和が公になった。ミックの彼女であったフォトグラファー藤井ユカが、デイヴィッドと付き合うようになっていたのだ。

 

 1982年のはじめ頃から、ジャパンが解散するのではないかという話がマスコミに出始めた。しかし、バンドは通常通り活動し、10月には“Sons of Pioneers”ツアーでライブ活動に戻った。しかし、11月になると、彼らはこのツアーを最後に解散することを発表した。

 

 1982年12月、ジャパンは最後の日本公演を行った。土屋昌巳をギターに、サンディ&ザ・サンセッツをサポートアクトに迎え、武道館でオープニングを飾った。矢野顕子、高橋幸宏、坂本龍一がゲスト参加したこのライブは、40年近く経った2020年に『武道館1982年12月8日(Live From The Budokan Tokyo FM, 1982)』としてCDがリリースされた。

 

 その後、東京では中野サンプラザと厚生年金会館でライブを行い、その後、大阪、京都を回って、12月16日に名古屋市公会堂でツアーを終了した。この日本公演の最終日が、ジャパンの最後のライブとなった。幸運なことに、このライブは撮影されていたが、現存するコピーは非常に質が悪い。

 

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