Excavating Ghosts
The many faces of Japan

発掘され続けるゴースト
「ジャパン」のさまざまな顔

September 2022

 

『ライフ・イン・トウキョウ(Life in Tokyo)』

 

 

 

 

 1979年、ハンザはその投資に対する見返りを得るためにジャパンを「ディスコの父」と呼ばれたジョルジオ・モロダーと組ませ、単独シングルをリリースすることに成功した。イタリア人プロデューサーでソングライターのモロダーは、ドナ・サマーを起用して大ヒットを飛ばしていた。特に注目すべきは1977年の革新的なディスコ・シングル『アイ・フィール・ラヴ』だった。

 

 ハンザは、モロダーのミダス的な才能は、ジャパンでも活用できると思った。モロダーの音楽とデヴィッド・シルヴィアンの歌詞を組み合わせた『ライフ・イン・トウキョウ(Life in Tokyo)』は、それまでジャパンが録音したことのないような作品だった。音楽だけでなく、ロックとディスコの融合は、シルヴィアンの歌い方を、それまでのアメリカ風のロックスタイルから、より親しみやすい甘くささやくようなバリトンへと変化させるきっかけとなった。

 

 バンドは、新しいサウンドに合わせて、ビジュアルイメージを変えた。長い髪と1970年代のグラム・スタイルから、短く染めた髪と、より洗練された現代的なドレス・スタイルに変わった。この新しいスタイルとサウンドは、その後のジャパンの雛形となった。

 

 しかし、1979年にロンドンのザ・レインボーで行われた英国での最初のライブで、ジャパンの新しいルックスとサウンドが披露されると、参加した熱心なファンはその変貌ぶりにショックを受けた。多くのファンにとって、これはバンドへのサポートの終わりを意味するものだった。しかし、新たな、そしてはるかに大きなオーディエンスがジャパンを待っていたのである。

 

 1979年4月に発売された『ライフ・イン・トウキョウ』は、ハンザ、モロダー、そしてジャパンの期待に反して、チャートインすることはなかった。(しかしハンザはあきらめず、この曲を7インチと12インチの計8枚で発売し、3回リリースした。曲はジャパンのアルバム『錻力の太鼓』とシングル『ゴースト』の成功を受けて再び注目を集め、1982年には英国でヒット・シングルとなった)

 

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