Excavating Ghosts
The many faces of Japan

発掘され続けるゴースト
「ジャパン」のさまざまな顔

September 2022

『苦悩の旋律(Obscure Alternatives)』

 

 

 

 

 デビュー・アルバムからわずか6ヶ月後の1978年10月、ジャパンはセカンド・アルバム『苦悩の旋律(Obscure Alternatives)』をリリースした。英国での『果てしなき反抗』の失敗を受け、レコード会社のハンザはバンドに、米国とヨーロッパのマーケットに向けたレコードを作るよう迫っていた。それは当時ロック市場を支配していたラジオ受けする音楽という意味だった。

 

 しかし前作同様、『苦悩の旋律』はイギリスでは失敗作だった。批評家は曲を「メロディがない」、プロダクションを「表情がない」、全体的に「聞くに値しない」と評している。ある批評家は、デビュー・アルバムよりも悪いと考えたほどだ。

 

 実際には2作目は、1作目から大きな進歩を遂げたものだった。最も重要なことは、曲がずっと良くなっていたことだ。 このアルバムは、イギリス国外では限られていたが、成功を収めた。オランダでは41位、日本では『果てしなき反抗』より1つ低い21位でチャートインした。デヴィッド・シルヴィアンは後に、「これは良いデビュー・アルバムになっただろう」と語っている。

 

 このアルバムには、1曲だけ傑出した曲がある。雰囲気のあるエンディングのピアノとサックスのインストゥルメンタル曲『The Tenant』である。それはギター主体の他の曲とは全く異なるものであった。この曲は、バンドがもっと繊細で洗練された音楽を作ることができることを示していた。それは、彼らのサウンドが大きく変わろうとしていることを明確に示していた。

 

 ジャパンは、1979年3月、初来日を果たした。このとき彼らは、これまで経験したことのなかったファンによる大歓迎で迎えられた。英国では、彼らが受ける批評はたいてい非常にネガティブなものだったが、日本では彼らは定期的に音楽雑誌の表紙を飾り、性の神、音楽の王族のように扱われた。

 

 7日間のツアーは、ソールドアウトした武道館での公演で幕を開け、名古屋、福岡を回り、大阪での2公演で幕を閉じた。しかし英国へ戻ると、またしても客が半分以下しかいないホールで演奏することになった。

 

 

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