THE ART OF HAPPINESS
画家バルテュスと節子夫人の幸せな関係
January 2017
シャトー・ド・シャシーで制作中のバルテュス(1956年)。
Their story is an antidote to the notion that artist couples are doomed to implode under pressure.
芸術家カップルは重圧によって必ず崩壊するという説を、
バルテュス夫妻の物語は鮮やかに覆す
支え続ける妻と信念 一体何が、ふたりの結婚生活をこれほど調和に満ち、互いの人生を豊かにするものにしたのだろうか。亡くなる前年のバルテュスに会ったガーディアン紙の記者は次のように書いている。
「節子夫人は彼を守り、彼のために記憶し、時には彼の目にもなっている。ほとんどいつも周囲の世話をしていて、屋敷とそこで働くスタッフや医師をまとめているのだろう。彼女が部屋にいないと、バルテュスはまるで迷子の少年のように彼女を呼ぶ。節子夫人はインタビューのために夫の身なりを整え、質問に答える彼をサポートしている」
多くの好奇心旺盛な記者が知りたがったのは、やはりバルテュスが年端のいかない少女をモチーフとして好んだことを夫人がどう感じているのか、ということだ。この点が特に注目されたのは、彼の死後にほとんど知られていなかった事実が判明したときである。主治医の末娘であるアンナ・ワーリという少女のインスタント写真を、バルテュスが2000枚近くも撮影していたことが明らかになったのだ(実際には、写真は単に絵の習作で、加齢によって関節が硬くなりスケッチができなくなっていたため撮られたものだった)。
節子夫人は大抵このテーマについて楽天的に構えてきたが、声高に異常性を訴える人々には少しばかり反論してきた。例えばある評論家はかつて、「バルテュスは偉人だが、多くの人にとっては下着を露わにする少女を描く人物だ」と書いた。すると夫人はこう語った。