January 2017

THE ART OF HAPPINESS

画家バルテュスと節子夫人
幸せな関係

text nick scott
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初の個展で物議を醸した『ギターのレッスン』(1934年)。

 当時、武士を先祖に持つ家では見合い結婚が多かったが、うら若く新しい恋に夢中だった彼女は、見合い結婚を思うと愕然とした。

「ですから母に、“最も困難で、最も劇的で、最もあり得ない恋のために、喜んで命を捧げます”と告げました。私はトルストイやスタンダールを読み、恋にのめり込んでいましたから」

 バルテュスには、20年間疎遠でありながら、それでも婚姻関係にある妻がいたため、ことは単純ではなかった。

「結婚までの5年間は本当に大変でした。奥様は離婚に同意してくださいましたが、彼を慕っている女性がもうひとりいらして、ひどく複雑な状況になりました。また私にも他の男性とどきどきするような関係がありました。その男性は私といることを望んでいた。そんな矢先、バルテュスから結婚を申し込まれたのです」

 節子夫人と再婚したバルテュスは、友人であるマルローからローマにあるアカデミー・ド・フランスの館長に任命され、ふたりはイタリアで16年間過ごす。その間に、節子夫人は娘の春美を出産。1977年に一家はスイスのロシニエールに移り、洗練された安らぎと優雅な暮らしが存在する、穏やかな日々を送り始めた。一家の屋敷、グラン・シャレは、18世紀に建てられたスイス最大級の木造建築である。

 一家にはグラン・シャレでの思い出がたくさんある。アンリ・カルティエ=ブレッソンに写真を撮ってもらったこと、フェデリコ・フェリーニら有名人をもてなしたこと、デヴィッド・ボウイがイギリスの芸術評論のためにインタビューしにきたことなど、どれも幼少期の春美をわくわくさせた記憶である。

 バルテュスは、晩年の日々をこのスイスの楽園で過ごした。車椅子でアトリエへ向かい、絵筆を走らせる合間に煙草を何本も吸いながら黙々と絵を描き続けた。2001年にここで92年の人生を終えたバルテュスにとって、グラン・シャレは終の棲家である。彼の葬儀には、サドルディン・アガ・カーン王子、モデルのエル・マクファーソン、U2のボノといった錚々たる面々が参列した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 13
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