Tuesday, January 24th, 2017

THE ART OF HAPPINESS
幸せな関係

思春期の少女たちをエロティックに描いた画家バルテュスと
節子・クロソフスカ・ド・ローラ夫人の間には、30歳以上の年齢差と文化的な隔たりがあった。
それでもふたりは、芸術史上まれに見るほど円満な愛情関係を築いた。
text nick scott

Balthus’s works showed apreoccupation — an unhealthily
Sexual one, some would assert — with young females.
バルテュスの作品が示す少女に対する執着は、
一部の人間が不健全なほど性的だと主張しかねないものだった

 『ギターのレッスン』は、バルテュスが多数制作した少女に対する執着を示す作品のひとつに過ぎない。その表現は、一部の人間が不健全なほど性的だと主張しかねないものだった。例えば『街路』は、一見すると当たり障りのない街の光景を描いているが、画面左端の少女は男に身体を弄られているし、ルイス・キャロルの同名小説を描いた『鏡の中のアリス』は少女をより扇情的に描いている。また、『少女と猫』はしばらくの間、ある文学作品の表紙を飾った。その文学作品こそ、バルテュスの絵画と同じく少女の扱いに懸念を呼んだウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』である。
バルテュスの少女への執着に対し、世間は疑いの眼差しを向け始めていた。1962年の東京でバルテュスが34歳年下の女性と出会い、恋が発展すると、彼の作品に注目していた人々が異口同音に不賛成を唱え始めた。

日本人女性へのひと目惚れ

 東京で生まれた出田節子の家は、京都の歴史ある武士の家系だった。ふたりが出会ったのは、アンドレ・マルローがバルテュスを日本へ派遣したときだった。当時フランスで初代文化相を務めていたマルローは、パリの展覧会のために日本の伝統的な芸術作品を選ぶ仕事をバルテュスに任せたのだ。バルテュスには最初の妻であるアントワネット・ド・ワットヴィルとの間にふたりの息子がいたが、当時の節子夫人は長男スタニスラスと同い年で、上智大学の学生だった。
フランスから派遣されてきた一団が京都の寺院を巡る間、通訳を務めていた彼女は、たちまち54歳の男の目に留まった。ほんのわずかでも年齢差を小さく見せようと、バルテュスは4歳さばを読んだという。芸術家の伝記を数多く執筆しているニコラス・フォックス・ウェーバーは自著において、こう描写している。「彼女はバルテュスが大切に思うものをいくつも体現していた。女性的な美しさ、若々しい活力、鋭い知性、東洋的な魅力と謙虚さ……」。節子夫人の記憶にあるふたりの出会いも、バルテュスが新たな恋を真っ白なキャンバスのようにとらえていたことを示唆している。
「とにかくたくさん会話をしました。バルテュスは私よりもずっと日本に精通していた。彼には東洋文化への憧れがあったのです。日本のあらゆるものを敬愛していました。私に毎日着物を着させたのも彼です。それが彼の芸術観でしたから。日本女性は着物を着るようにできている、と言っていました」
当時、武士を先祖に持つ家では見合い結婚が多かったが、うら若く新しい恋に夢中だった彼女は、見合い結婚を思うと愕然とした。
「ですから母に、“最も困難で、最も劇的で、最もあり得ない恋のために、喜んで命を捧げます”と告げました。私はトルストイやスタンダールを読み、恋にのめり込んでいましたから」
バルテュスには、20年間疎遠でありながら、それでも婚姻関係にある妻がいたため、ことは単純ではなかった。
「結婚までの5年間は本当に大変でした。奥様は離婚に同意してくださいましたが、彼を慕っている女性がもうひとりいらして、ひどく複雑な状況になりました。また私にも他の男性とどきどきするような関係がありました。その男性は私といることを望んでいた。そんな矢先、バルテュスから結婚を申し込まれたのです」
節子夫人と再婚したバルテュスは、友人であるマルローからローマにあるアカデミー・ド・フランスの館長に任命され、ふたりはイタリアで16年間過ごす。その間に、節子夫人は娘の春美を出産。1977年に一家はスイスのロシニエールに移り、洗練された安らぎと優雅な暮らしが存在する、穏やかな日々を送り始めた。一家の屋敷、グラン・シャレは、18世紀に建てられたスイス最大級の木造建築である。
一家にはグラン・シャレでの思い出がたくさんある。アンリ・カルティエ=ブレッソンに写真を撮ってもらったこと、フェデリコ・フェリーニら有名人をもてなしたこと、デヴィッド・ボウイがイギリスの芸術評論のためにインタビューしにきたことなど、どれも幼少期の春美をわくわくさせた記憶である。
バルテュスは、晩年の日々をこのスイスの楽園で過ごした。車椅子でアトリエへ向かい、絵筆を走らせる合間に煙草を何本も吸いながら黙々と絵を描き続けた。2001年にここで92年の人生を終えたバルテュスにとって、グラン・シャレは終の棲家である。彼の葬儀には、サドルディン・アガ・カーン王子、モデルのエル・マクファーソン、U2のボノといった錚々たる面々が参列した。

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バルテュスの自画像、『猫たちの王』(1935年)。

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初の個展で物議を醸した『ギターのレッスン』(1934年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 13
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