September 2016

THE PARTHENON OF PUNK

パンクの聖地、CBGBの伝説

text charlie thomas
issue10

典型的なCBGBのオーディエンス(1978年)

 当然、ケンカも起こった。最も悪名高いのは、ディクテイターズのボーカル、ハンサム・ディック・マニトバとウェイン・カウンティ(ニューヨーク・ドールズと並んで、パンクに女装の要素を持ち込んだトランスジェンダーのパイオニア)のケンカだ。この取っ組み合いで、ウェインは自分のセクシュアリティをバカにされたことに怒り狂って、ディックの鎖骨をマイクスタンドで思い切り殴りつけたのだ。

「頭のてっぺんからつま先まで、ディックの血が降りかかってきた。全員が立ち上がって、『やめさせろ、やめさせるんだ!』と叫んで大騒ぎになった。次の曲は“ウォッシュ・ミー・イン・ザ・ブラッド・オブ・ロック・アンド・ロール”だった」とウェインは後に語った。

 CBGBは下品な性欲をむき出しにできる場所であり、これ以前の10年間にアンディ・ウォーホルによってファクトリーで執り行われていた、アンフェタミンまみれの上品で華やかな饗宴からは、遠く離れた地下世界だった。CBGBと比べれば、当時のクラブなど、セントラル・パークのカフェのようなものだった。

 CBGBの腐臭は、やがてセレブリティをも引きつけ始め、ポール・サイモン、ミック・ジャガー、ジョンとヨーコ、そしてウォーホルその人もCBGBを覗きにやってきた。そうしてそこは、エスタブリッシュメントの一部なっていったのだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 10
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