Thursday, September 15th, 2016

THE PARTHENON OF PUNK
パンクの聖地、CBGBの伝説

それは騒音の巣、悪党の隠れ家、そして1970年代のポップカルチャーの震源地。
ブロンディ、トーキング・ヘッズ、ラモーンズらのスターを生んだ
ニューヨークのライブハウス、CBGBの伝説を語っていこう。
text charlie thomas

Patrons answering nature’s beer-amplied call would wade through raw sewage laced with
beer bottle shards to get to the rust-streaked, ink-daubed porcelain basins that acted as
receptacles to human waste only in a nominal sense.

ビールに駆り立てられて生理的欲求をもよおした客は、瓶の破片が散らばる下水路を避けつつ、
糞尿を受け止めるだけにある、錆びて汚れのこびりついたポーセリン製の便器にたどり着かなくてはならなかった

 ポピュラー・ミュージックの歴史を見ると、ひと握りのごく小さな場所から、大きな流れが生まれてくるということがわかる。ミシシッピーの一農場であったドッキー・プランテーションがいい例だ。そこの下宿屋では、20世紀前半、ウィリー・ブラウン、トミー・ジョンソン、“サン・ハウス”ことエディ・ハウスたちが、移民たちが持ち込んだギターを片手に、ロックンロールの基盤を形成する大きなムーヴメント、デルタブルースを、いち早く奏ではじめたのだ。そこはブルース・ファンにとっての聖地である。
そしてもし、あなたのお気に入りのサブカルチャーが、70年代のアメリカン・パンクロックだとしたら、あなたの絶対的聖地は、マンハッタンのバワリー通り315番地に位置した、セメント床の地下室となるだろう。そこは2006年にその扉を閉めるまで、悪名高く、しかし同時に激しく愛されていたクラブ、CBGBがあった場所だ。
小さな台形のステージは、パンクのゴッドマザーであるパティ・スミスが自分を爆発させた場所だ。そこで彼女は小説家ウィリアム・バロウズを含む観客たちに、破滅的なパフォーマンスを演じてみせた。


店内は、まさに無政府状態

 ここから、パンクの名曲の数々が生まれた。トーキング・ヘッズの“サイコ・キラー”と“ライフ・デュアリング・ウォータイム”(これは歌詞でCBGBに言及している)、ブロンディの“デニス”、ジョーイ・ラモーンの“アイ・ゴット・ノック・ダウン”などがある。
ヴィレッジ・ヴォイスのクラブ情報欄に、切手サイズの広告を出して、ささやかな数の客を集めた。リチャード・ヘル、ニューヨーク・ドールズ、ザ・ランナウェイズ、ジョニー・サンダース、テレヴィジョンらがレギュラー出演し、ルー・リードのようなベテランもステージに立っていた。
パフォーマンスは激しく獰猛だった。イギリスのパンクバンド、ダムドがアメリカ初登場となるライヴを行ったときは、ボーカルのデイヴ・ヴァニアンは、吸血鬼の墓堀人のような装いだった。ドラマーのラット・スキャビーズは赤いレザージャケットを着ていたが、その袖をくっつけているのは安全ピンのみだった。ベースのキャプテン・センシブルは緋色のベレーをかぶり、安いサングラスをかけ、そしてバレリーナのようなチュチュを穿いていた。
ステージ上のふるまいについては、まさに無政府状態だった。デッド・ボーイズのボーカル、スティーブ・ベイターはしばしばマイクのコードを縄に見立てて、天井に固定された照明にひっかけ、首吊りの真似事をしたが、これだけでは終わらないこともあった。“コート・ウィズ・ザ・ミート・イン・ユア・マウス”を演奏している最中に、あるウェイトレスがむき出しの彼の性器にホイップクリームをつけ、歌詞の内容を観客に向けて実演してみせたのだ。ウェイトレスをけしかけたのは、ゴールディー&ザ・ジンジャーブレッズのボーカルだったジェニア・レイヴァンだった。彼女曰く、「でもね、ウェイトレスにはスティーブがイクところまではフェラしないでいいと言ったのよ。スティーブは歌わなくちゃならなかったし、音程を外してほしくなかったからね。かわいそうなスティーブ!」
当然、ケンカも起こった。最も悪名高いのは、ディクテイターズのボーカル、ハンサム・ディック・マニトバとウェイン・カウンティ(ニューヨーク・ドールズと並んで、パンクに女装の要素を持ち込んだトランスジェンダーのパイオニア)のケンカだ。この取っ組み合いで、ウェインは自分のセクシュアリティをバカにされたことに怒り狂って、ディックの鎖骨をマイクスタンドで思い切り殴りつけたのだ。
「頭のてっぺんからつま先まで、ディックの血が降りかかってきた。全員が立ち上がって、『やめさせろ、やめさせるんだ!』と叫んで大騒ぎになった。次の曲は“ウォッシュ・ミー・イン・ザ・ブラッド・オブ・ロック・アンド・ロール”だった」とウェインは後に語った。
CBGBは下品な性欲をむき出しにできる場所であり、これ以前の10年間にアンディ・ウォーホルによってファクトリーで執り行われていた、アンフェタミンまみれの上品で華やかな饗宴からは、遠く離れた地下世界だった。CBGBと比べれば、当時のクラブなど、セントラル・パークのカフェのようなものだった。
CBGBの腐臭は、やがてセレブリティをも引きつけ始め、ポール・サイモン、ミック・ジャガー、ジョンとヨーコ、そしてウォーホルその人もCBGBを覗きにやってきた。そうしてそこは、エスタブリッシュメントの一部なっていったのだ。

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CBGBの外の群衆(1970年頃)
EVERETT/REX/SHUTTERSTOCK

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CBGBの ザ・シック・ファックス(1978年)

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典型的なCBGBのオーディエンス(1978年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 10
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